信長の野望の跡を彩る桜

第7位は、信長が築きはじめて今年で450年になる安土城(滋賀県近江八幡市)とする。城郭全体が石垣で築かれ、豪華絢爛な五重の天守が建つ、信長がみずからの権威を象徴させたエポックメーキングな城で、南正面からの大手道は、山上に向かって直線的に180メートルも続く。天皇の行幸を意図しての構造だともいわれる。天守はこのまっすぐな道の正面に、そびえて見えるように建てられていた。

大手道を登ると、黒金門跡から先にはいまも壮麗な石垣が残る。山上の天守台に建てられていた五重の天守は、内部は地上6階地下1階で金箔瓦が葺かれ、4重目が朱色、5重目は金色に塗られ、内部は金碧極彩色に仕上げられていた。

安土城天主復元模型20分の1スケール
安土城天主復元模型20分の1スケール(写真=(Uiki bastard) うぃき野郎/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

令和5年(2023)から滋賀県が、約20年計画の「令和の大調査」を実施中で、石垣が故意に崩された「破城」の跡が各所で発見されるなど、リアルタイムで構造の解明が進んでいるおもしろさもある。標高198メートルの安土山内に桜が点在するほか、山麓の江藤の丘は約100本のソメイヨシノが咲き誇る名所として知られる。

桜で彩られる「秀吉と秀長の姫路城」

第6位は、月並みのようだが世界遺産の姫路城(兵庫県姫路市)。姫路城を現在のように整備したのは、関ヶ原合戦後に入城した池田輝政だが、天正8年(1580)には秀吉が本拠地にし、同11年(1583)に大坂城(大阪市中央区)に移ると、今度は秀長が入城して、2年後に大和郡山に移るまで居城にした。

そして現在も、上山里や二の丸、三の丸北側の菱の門の東方、本丸の背後、「るの門」の周辺など、かなり広範囲に秀吉時代(秀長時代も含む可能性あり)のものと思われる、自然石を積んだ野面積みや、石棺や石塔などの転用石を用いた石垣が見られる。姫山に展開する姫路城の中核は、原型が秀吉時代に築かれたことがよくわかる。

それを知って姫路城を眺めると、また違って見えると思う。桜はソメイヨシノやシダレザクラなど約1000本におよび、白壁や石垣に映えて美しい。日本さくらの会認定の「さくら名所100選」にもなっている。

2016年4月3日、春の季節に美しい桜を咲かせる姫路城
写真=iStock.com/Sean3810
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第5位には、小牧山城(愛知県小牧市)を挙げる。信長は永禄6年(1563)、美濃(岐阜県南部)を攻略するために居城を清洲城(愛知県清須市)から小牧山城に移した。それから4年で廃城になったので、長く臨時の城だったと考えられていたが、発掘調査の結果、先進的な城下町も整備された本格的な城だったことがわかった。

山頂の主郭部は2段および3段の石垣で整備され、かなりの巨石が積まれていたこともわかった。訪れた人に信長の力を知らしめ、威嚇するねらいがあったと考えられる。ここ数年で、この主郭部の石垣が復元整備され、「信長の野望」を目でたしかめられる。かつて全山が要塞化されていた標高86メートルの小牧山には、およそ400本の桜が咲き乱れ、3月20日から4月10日まで「小牧山さくらまつり」も開催される。

小牧山城 模擬天守(小牧市歴史館)
小牧山城 模擬天守(小牧市歴史館)(写真=Mont Blank rich/CC-Zero/Wikimedia Commons