看板商品を作りたい

火がついた古田さんは、勉強をはじめた。業界の青年部で仲間と共にパン組合の勉強会に参加し、各地のパン店を視察して回った。直営店をやる以上、看板商品が欲しかった。自分たちで値段を決められる、自分たちだけの商品。それが何かを探していた。

2000年頃、勉強会で高知を訪れたときのことだ。小さなパン店で、明太子を使ったパンを見つけた。手のひら大くらいの小さなパンだった。

「これはいいなと思ったんです。でも、明太子といえば博多でしょう。福岡のパン屋こそ、力を入れて作るべきじゃないかって」

当時、明太子は贈答用が中心で、地元でも食卓に並ぶ機会は減りつつあった。明太子をパンに入れれば、もっと身近な食べ物になる。国産小麦のパンで明太子を広められれば、地域貢献にもなる。

福岡の老舗・福さ屋に相談を持ちかけた。以前から取引があり、「いっしょにやろう」と言われたが、自分たちで作りたかった。福さ屋の明太子を使わせてもらい、自分たちの手でパンを開発する。そう決めた。

試作は古田さんの自宅で始まった。食パンにあれこれ具材を乗せては焼いてみる。刺身を乗せたこともあったが、スタッフには不評だった。

明太バターのフィリングをフランスパンに絞っているスタッフ
筆者撮影
一度焼いたフランスパンに端から端まで明太バターをしぼっている

「生臭いんじゃ…」職人には不評だった

職人たちに明太子を使ったパンの話をすると、最初の反応は、「え? 明太子ですか⁈ 生臭いんじゃ……」だった。古田さんは職人たちに「作れ」とは言わなかった。

「私がこれ作れって言ったら、いったんは作るんですよ。でも、あんまり熱がないんですよね。自然と作らなくなっていく。自分たちで作りたいと思ったものじゃないと、気持ちが入らないんです」

社長の古田さん。好きなパンは「食パン」「あんぱん」だという
筆者撮影
社長の古田さん。好きなパンは「食パン」「あんぱん」だという

自身がそうだった。銀行員になりたかったのに、パン店を継いだ。嫌々やっていた時期は、何も生まれなかった。国産小麦と出会い、自分で「この仕事は大事だ」と思えてから、初めて火がついた。職人もきっと同じだ。切り口やヒントは見せるが、本人たちがやりたいと言い出すまでは待つことにした。

当時、後に独立して自分の店を開くことになる職人が、バゲットを作りたいと言っていた。古田さんはフランス窯を導入し、任せた。

国産小麦でバゲットを焼くのは難しく、何度も試作を重ねたが、ようやく完成したバゲットは売れなかった。日本人にはまだ馴染みが薄かったのだ。

バゲットをどうやって売るかを考えたときに、古田さんが温めていた「明太子を使ったパンを作りたい」という構想と重なった。職人たちが自ら動きはじめた。

約1年の試作を経て、2002年、「明太フランス」が誕生した。

発送専用の冷凍も扱っている
筆者撮影
通販用の明太フランスは、家庭のトースターで焼けるようにお店のものより小さめに作られているそう