「胃袋」ではなく「知性」で旅をする

富裕層がサン・セバスチャンに向かう理由は、おいしいものを食べたいからという単純なグルメツアーではない。もちろんおいしいものは食べる。だが、それは目的ではなく「手段」だ。

彼らが求めているのは、「ガストロノミーツーリズム」と呼ばれる旅のスタイルである。

ガストロノミーツーリズムとは、その土地の歴史、気候風土、文化的背景を、料理という切り口から体験的に深掘りする旅のことだ。世界観光機関(UNWTO)も注目するこの旅行形態は、単なるグルメツアーとはその目的が本質的に異なる。

グルメツアーは「何を食べるか」が主眼だ。「あの店のあの料理がおいしい」という情報を消費する行為である。一方、ガストロノミーツーリズムは「なぜこの料理がここに存在するのか」を探求する知的冒険だ。

サン・セバスチャンを例にとろう。

この街には「美食倶楽部(ソシエダ・ガストロノミカ)」と呼ばれる会員制の料理クラブが多数存在する。19世紀末から続くこの文化は、男たちが集まって自ら料理を作り、食べ、議論するという極めてユニークなものだ。観光客には通常開放されていないが、地元の知人を介してこの美食倶楽部に参加できたとき、旅の深度は一気に跳ね上がる。

バスク地方の市場で、漁師から直接カンタブリア海の魚介を買い付ける。地元のシェフから「海バスク」と「山バスク」の食文化の違いについてレクチャーを受ける。レシピ公開という「オープンソース革命」がいかにしてこの街を世界一の美食の街に押し上げたかを、料理大学「バスク・キュリナリー・センター」の教授から直接聞く。

これがガストロノミーツーリズムだ。

胃袋ではなく知性で旅をする。

食べることは、その土地の歴史書を1ページずつめくることと同義だ。バルホッピングは、この知識を入れ、頭で食べるという、知的遊戯なのだ。

一方、横浜中華街で肉まんをかじっている観光客たちは、何を体験しているのだろうか。

店頭に置かれた蒸し器で蒸されている肉まん
写真=iStock.com/Gyro
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湯気。うまい。次の店。また湯気。うまい。お腹いっぱい。帰ろう。

それはそれで、楽しいレジャーだ。否定はしない。だがそれは、エンターテインメントとしての「カロリー摂取イベント」に近い。

10年後に表れる人生の決定的な差

近年、地方創生の名の下に全国各地で屋台村が乱立している。

「横丁」「屋台」「はしご酒」といったキーワードで集客を図り、小さな飲食ブースが10軒ほど連なる。

焼き鳥、おでん、ラーメン、たこ焼き。

1軒あたり1000円程度で2〜3品頼み、生ビールをひっかけて次の店へ。3軒も回れば5000円で心地よい酔いが回り、「今日は楽しかったな」と千鳥足で帰宅する。

私はこの文化を否定しない。むしろ愛している。酔っ払いの幸福は、金額に比例しないからだ。

だが、一度だけ想像してみてほしい。

あなたが屋台村で3軒目のおでん屋の大根に箸を突き刺しているまさにそのとき、地球の裏側では、ある日本人経営者がサン・セバスチャンの立ち飲みのバルで、カウンター越しにシェフと会話をしている。

「このイディアサバル(バスクの羊乳チーズ)は、どの牧場のものですか?」

シェフは嬉しそうに答える。牧場の名前、羊の品種、熟成期間、そしてそのチーズを最も引き立てるチャコリの銘柄まで。

他にも、「酢漬けイワシの定番カタクチイワシのピンチョスのこのイワシは、どこの港で上がって、旬の時期はいつ頃だ?」

「イチャソ(アンコウとエビのパイ)、フォアグラのパイ仕立てのアンコウとエビは?」など、質問攻めである。

経営者は目を細めながらノートを取り出し、何かをメモしている。彼はこの体験を、自分が経営するレストランのメニュー開発に活かすつもりなのだ。

これはなにも、レストラン経営者にかぎったことではない。こうした知識の積み重ねが、その先の人生の食体験を豊かなものに変えていく。

同じ「はしご」でも、一方は翌朝二日酔いの頭痛しか残らない。他方はビジネスのインスピレーションと人生の教養を積み上げていく。

この差が、10年、20年と蓄積されたとき、人間の「厚み」にどれほどの違いが生まれるか。考えるだけで、少し背筋が寒くなる。