「Apple Watchか高級時計か」への答え
ここで、現代ならではの問いに触れておきたい。
富裕層はApple Watch派と高級時計派に分かれるのか?
答えは「分かれるし、両方持ちが多い」である。
Apple Watchは「機能」を担う。仕事の通知、健康管理、フィットネス記録。
一方、機械式時計は「記号」と「嗜好」を担う。会食、商談、式典、趣味の場面。役割が違うから、競合ではなく使い分けになる。
米国の高所得層の10代で、Apple Watchがロレックスを抜いて「最も人気のある時計ブランド」になったという調査結果が報告されている。若い世代にとって、Apple Watchは「時計」というカテゴリーの筆頭なのだ。
しかし、彼らが年齢を重ね、資産を築いたとき、機械式時計に手を伸ばすケースは少なくない。2026年の高級腕時計市場では、「初めて時計を購入する人々」が新しい購買動向を生み出している。彼らは自分らしさを表現するファッションアイテムとして、同時に長期的な投資として、高級時計を捉えている。
一般のサラリーマンにとって、数百万円の時計は「贅沢品」に見えるかもしれない。しかし、富裕層の視点は異なる。
高級時計を買う動機は、大きく5つに分類できる。
第1に、記号性。信頼と成功の証明だ。ビジネスの場で一瞬で伝わる。
第2に、嗜好品としての満足。工芸、機械、歴史への共感。
第3に、携帯できる価値の保存。現金や宝飾ほど露骨でなく、資産を分散できる。
第4に、コミュニティ通貨。同じ趣味の人間と会話が生まれる。
第5に、相続・記念品。モノとして残る。
これらは「時刻を知る」という機能とは無関係である。高級時計とは、時刻を超えた「時間」を買う行為なのだ。
私が時計を買う理由
最後に、マーケッターとして、そして長年会社を経営してきた人間として、私自身の「時計論」を述べたい。
経営には波がある。良い年もあれば、そうでない年もある。ただ私は、良い決算が出た年には必ず、時計を1本、買うことにしている。
贅沢ではない。儀式である。
「良い時」を刻めた年に、翌年もまた「良い時」を刻むための相棒を迎える。その時計を見れば、あの年の決算が蘇る。苦労が蘇る。喜びが蘇る。
時計とは、過去の自分との対話であり、未来の自分への宣誓である。
スマートフォンは正確だ。だが、記憶がない。時計には記憶がある。傷の一つ一つに、物語がある。
だから時刻ではなく、時間を買う。
過去と現在と未来を、腕に巻く。それは、自分が生きた証――いや、生き抜いた証である。


