もう一つの、パテック
しかし、同じパテック フィリップでも、カラトラバの数字はまるで違う風景を見せる。
カラトラバ 5196G(ホワイトゴールド)。定価2万5550ドル(約383万円)に対して、2026年2月時点の市場価格は1万9128ドル(約287万円)。定価の約75%。つまり、買った瞬間に定価の4分の1近くが「消える」。
この落差に、本文で外商マンが語った言葉が重なる。
「満足度ならノーチラス。しかし、人格や判断軸を示したいならカラトラバ」
ノーチラスは「値が上がる時計」だ。SNSで映え、リセールが強く、「投資」として語られる。カラトラバは「値が下がる時計」だ。派手さはなく、転売益もなく、ただ静かにそこにある。
だが、考えてほしい。
カラトラバを買う人間は、最初からリセールバリューなど気にしていない。定価の75%に「下がった」のではない。あの時計は、もともと「売らない」ために存在する。時を刻むことだけに奉仕する、純粋な機械。それをわかっている人間だけが、カラトラバに手を伸ばす。
ノーチラスの市場価格が定価の1.8倍であることは、世界中の人間がその時計を「欲しい」と叫んでいることの証明である。カラトラバの市場価格が定価の75%であることは、その時計を持つ人間が「売らない」と決めていることの証明なのだ。
どちらが「本物」かという問いには、答えがない。だが、パテック フィリップの広告コピーが最も深く響くのは、おそらくカラトラバを巻いた腕の上ではないだろうか。「次の世代のために預かっているだけだ」――売らない時計だからこそ、この言葉は嘘にならない。
1本3億円、異次元の時計
〈リシャール・ミル〉
リシャール・ミルの数字を見ると、もはや「時計」という言葉が適切なのかさえ、わからなくなる。
RM 35-03 ラファエル・ナダル。カーボンTPTとアルマグネシウム合金で構成された、重量わずか「19-30グラム(ストラップを含む、種類によって異なる)」の「戦士の鎧」。定価は8万〜13万ドル(約1200万〜1950万円)。
これだけでも十分に驚くべき数字だが、二次市場では36万5000〜37万5000ドル(約5475万〜5625万円)で取引されている。定価の約3〜4.5倍。ロレックスのデイトナが定価の約1.8倍であることを考えると、そのプレミアムの異常さが際立つ。
RM 11-03 オートマティック フライバック クロノグラフ。定価15万〜25万ドル(約2250万〜3750万円)に対して、二次市場平均は約28万3283ドル(約4250万円)。定価上限を超えた水準で安定している。
RM 72-01 シャルル・ルクレール。限定150本。定価20万〜30万ドルに対して、市場では33万ドル超。わずか150本の中から、1本が市場に出るたびに、世界中のコレクターが殺到する。
そして最上位モデル――RM 75-01 フライング トゥールビヨン サファイア。全面サファイアクリスタルケース。定価は200万ドル超(約3億円)。もはや「時計の値段」ではない。
都心のマンションが買える金額が、手首に載っている。
ここまでくると、二次市場に「相場」などというものは存在しない。そこにあるのは、選ばれし者たちが静かに交わす、不可侵の合意だけである。
