買っているのは「時刻」ではない

「時計」と「時間」は違う。

時計は時刻を示す。だが高級時計が示すのは、時刻ではなく「時間」である。

過去の時間。ブランドが積み重ねてきた歴史、職人が継承してきた技術、オーナーが刻んできた記憶。

パテックフィリップの広告コピーは有名だ。「あなたは本当の意味でパテックフィリップを所有することはない。次の世代のために預かっているだけだ」。

これは単なるマーケティングではない。高級時計を買う人間の心理を、見事に言い当てている。

現在の時間。腕に巻かれた時計は、持ち主の「いま」を物語る。商談の席で、会食の場で、言葉を発する前に時計が語る。

ロレックスなら「堅実な成功者」、パテックなら「本物を知る人間」、リシャール・ミルなら「スピードで勝ち上がった人間」。

時計は、名刺よりも雄弁な自己紹介である。

未来の時間。

良い時計は、壊れない。メンテナンスを続ければ100年動き続ける。子に、孫に、受け継がれていく。富裕層にとって時計は「携帯できる資産」であり、「残せる記憶」なのだ。

富裕層とシン富裕層で違う“時計選びの基準”

興味深いのは、同じ「お金持ち」でも、時計の選び方がまったく異なることである。

伝統的な富裕層、いわゆるオールドリッチ層は「バレない強さ」を好む。

派手な限定モデルや奇抜なデザインには手を出さない。定番の完成度、主張しすぎない格。ブレゲ、オーディマピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタン……。これが彼らの美学だ。

資産性は「結果」であって「目的」ではない。

長く持てるモデルを選んだ結果として、値崩れしにくいだけのことである。

百貨店の外商が語る。

「本当の富裕層は、正規店で買います。購入履歴、メンテナンス履歴、信頼できるディーラー網。中古であっても『透明性・鑑定・保証』がある認定中古(CPO)を選ぶ。時計の価値は、出自で決まることを知っているからです」

一方、新富裕層(ニューリッチ)の基準は異なる。彼らは「分かりやすい勝ち筋」を選ぶ。

誰が見ても強いブランド、誰が見ても価値がわかる型。

なぜか。流動性が高いからである。市場参加者が多いほど、売りやすい。リセールが安定する。SNSで映える。周囲が認知している。

新富裕層の時計選びは、ある意味で合理的だ。

「興味がなければスマートウォッチで十分。しかし買うなら、リセールバリューが高いものを」

この徹底した合理性こそが、新富裕層の特徴である。