森蘭丸ら小姓衆は討ち死に、孤立無援
6月2日未明、本能寺の四方を取り囲んでいた光秀の軍勢が本能寺を襲撃した。最初、信長も小姓衆も下々の者たちの喧嘩かと考えたが、そうではなかった。光秀軍は鬨の声をあげ、本能寺に鉄砲を撃ち込んできたのである。どう考えても戦闘の始まり以外とは考えられなかった。信長らにとってみれば、驚天動地の出来事だったことだろう。
信長配下の武将たちは奮戦した。面御堂の御番衆は信長のいる御殿へと馳せ参じ、御厩では矢代勝介ら24名が討ち死にした。馬術に長けた勝介は関東出身で新参の者だったというが、無念にも戦死した。森蘭丸ら小姓衆も奮戦したが、御殿内で討ち死にしたのである。こうして、次々と信長方の将兵は討ち取られた。
信長配下の武将が奮闘したとはいえ、しょせんは多勢に無勢である。わずかな時間で、信長方の形勢は不利になった。最初、信長は弓を取って、矢を2、3度放ったという。しかし、しばらくすると弓の弦が切れたので、今度は槍を手に取って戦った。自ら戦うよりほかの手段はなく、信長はもはや孤立無援だった。
嫡男・信忠に本能寺陥落の知らせ
信長は肘に槍で傷を負うと引き下がり、すぐさま女中たちに退去を命じた。すでに御殿には火が広がっていた。殿中の奥深くに入った信長は、内側から納戸を閉じると自害した(『信長公』)。享年49。その後、本能寺は放火により、紅蓮の炎に包まれた。
こうして信長は無念の気持ちを抱きながら横死し、居所だった本能寺は無残にも焼け落ちたのである。家臣に討たれた信長の心中は、いかばかりのものであったのか。
信長を討ち果たした光秀軍は、嫡男・信忠の宿所である妙覚寺に移動する。本能寺から妙覚寺まで大した距離はない。ところが、明智軍は移動に少々手間取ったらしい、その間、本能寺前に邸宅を構える村井貞勝は子の貞成・清次とともに信忠のもとに向かい、本能寺が落ちたこと、やがて明智軍が妙覚寺に来るであろうことを報告した。

