森蘭丸ら小姓衆は討ち死に、孤立無援

6月2日未明、本能寺の四方を取り囲んでいた光秀の軍勢が本能寺を襲撃した。最初、信長も小姓衆も下々の者たちの喧嘩かと考えたが、そうではなかった。光秀軍はときの声をあげ、本能寺に鉄砲を撃ち込んできたのである。どう考えても戦闘の始まり以外とは考えられなかった。信長らにとってみれば、驚天動地の出来事だったことだろう。

「本能寺焼討之図」
「本能寺焼討之図」(画像=ブレイズマン〔名古屋市所蔵〕/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

信長配下の武将たちは奮戦した。面御堂おもてみどうの御番衆は信長のいる御殿へと馳せ参じ、御厩みまやでは矢代勝介ら24名が討ち死にした。馬術にけた勝介は関東出身で新参の者だったというが、無念にも戦死した。森蘭丸ら小姓衆も奮戦したが、御殿内で討ち死にしたのである。こうして、次々と信長方の将兵は討ち取られた。

信長配下の武将が奮闘したとはいえ、しょせんは多勢に無勢である。わずかな時間で、信長方の形勢は不利になった。最初、信長は弓を取って、矢を2、3度放ったという。しかし、しばらくすると弓のつるが切れたので、今度は槍を手に取って戦った。自ら戦うよりほかの手段はなく、信長はもはや孤立無援だった。