寿司屋巡りは「職人のクセ」も含めて楽しむ
もちろん、楽な仕事ではありません。開店前の仕込みに始まり、営業が終われば道具の手入れや掃除が待っています。
一般的な会社員とは生活リズムが大きく違い「友人と休みが合わない」という悩みは、今の若い寿司職人に聞いても変わりません。それでも、この仕事を選ぶ人が後を絶たないのは、やはり寿司職人という仕事が持つ魅力ゆえでしょう。
職人のキャラクターも、時代とともに変わってきました。最近の若手職人は、身だしなみも良く、受け答えも丁寧。いわゆる「さわやかで優秀」なタイプが増えています。
一方で、昔ながらの町寿司に足を運ぶと、今でも強烈な個性を放つ大将に出会うことがあります。
私自身、令和の時代に、初めて入った町寿司で、店に入った瞬間、大将から「何にするんだ?」と鋭い目で睨まれる、という場面に出くわしたことがあります。これには「マンガかよ……」と絶句しました。
しかし、「握りで」と伝えた瞬間、「あいよ!」とニコニコしだして、出てきた寿司も満足。全然良い人でした。こうした職人さんの「クセの強さ」も含めて楽しめるようになると、寿司屋巡りはぐっと面白くなります。
修行の形も、職人の雰囲気も変わりましたが、変わらないものもあります。それは、「目の前のお客様に喜んでもらいたい」という思いです。
さまざまな職人さんたちと相対する中で、そこに至るまでの考え方は面白いくらいにそれぞれ異なりますが、ゴールがこの点ということだけは共通しているように感じています。
寿司職人は唯一無二のスターだった時代
かつて寿司の世界は、圧倒的に「個」の時代でした。寿司=職人個人であり、「誰が握るか」がそのまま店の価値を決めていた時代です。
その象徴的な存在が、「すきやばし次郎」の小野二郎さんでしょう。かつて、寿司職人はスターであり、唯一無二の存在であり、その人の技と哲学、立ち姿そのものに人が集まることもありました。そのようなお店では、主役は職人個人だったと言う見方もできるでしょう。
この構図は、かつてのサッカーの世界によく似ていると思います。一人の天才が局面を打開し、スーパープレーで試合の流れを変える。勝敗は個人の能力に大きく依存し、観客は「誰がいるか」を見にスタジアムへ足を運びました。
マラドーナ、ジダン、ロナウドといったスターの存在が、そのままチームの価値を決めていた時代です。寿司も同じで、「この人が握っているから行く」ということが来店の大きな動機になりやすい時代があったといえます。
しかし、時代は移り変わりました。情報は共有され、技術は言語化され、教育は体系化されていきました。寿司職人の技術も例外ではありません。
シャリの炊き方、温度管理、包丁の入れ方、ネタの扱い方。かつては「見て盗め」「背中を見ろ」と言われていたものが、今では理論として説明され、再現性のある技術として伝えられるようになっています。短期で学べる寿司スクールは、その象徴と言えるでしょう。
その結果、寿司の価値は「職人個人」から、徐々に「店全体」へと移ってきているように感じます。誰が握っているか以上に、その店の空気感、オペレーションの滑らかさ、仕込みの精度、スタッフ全体の連携といった、チームとしての完成度が問われる時代です。

