第4章:ロボティクスという第二の軸

労働のAI化は何を問い直すのか

自動運転が「移動」のAI化であるならば、オプティマスは「労働」のAI化である。この二つは似ているようで、本質的に異なる意味を持つ。移動の自動化は、空間的制約を緩和する技術であった。自動車が登場したとき、人間は移動距離の制約から解放された。自動運転はその延長線上にある。しかし労働の自動化は、単なる効率化では済まない。

イーロン・マスクが語るオプティマスは、人手不足の補完装置として位置付けられることが多い。しかし、その射程はそれにとどまらない。ヒト型ロボットが製造、物流、建設、サービスといった分野で実装されるとき、それは単に「人が足りないから補う」という問題ではなく、「人が担ってきた役割そのものを再定義する」問題へと変わる。

人類はホモ・サピエンス、すなわち「考える存在」と定義されてきた。しかし文明の歴史を振り返れば、人間は同時に「働く存在」でもあった。労働は生存の手段であると同時に、社会的役割の基盤でもあった。職業は自己同一性を形成し、経済活動は社会秩序を支えてきた。

ショーウインドーに展示された人型ロボット「オプティマス」
写真=iStock.com/Stefan Aue
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「労働の自動化」が突きつける問い

もし物理AIが労働を代替できる水準に到達したとき、何が起きるのか。それは単なる賃金構造の変化ではない。人間が「何によって社会に参加するのか」という問いが浮上する。

オプティマスはまだ研究開発段階から実装段階への移行期にある。工場内での限定的な業務投入や、単純作業の自動化は始まっているが、広範な市場展開はこれからである。しかし重要なのは、テスラがこれを周辺事業としてではなく、明確な成長軸として位置付けている点だ。モデルSおよびXの終了とロボティクスへの資源集中は、その象徴である。

移動の自動化は「どこへでも行ける」世界を作った。労働の自動化は「誰が働くのか」という問いを突きつける。これは経済効率の問題ではなく、文明の構造の問題である。

ここで注意すべきは、過度な未来論に陥らないことである。ロボティクスには技術的、経済的、倫理的な課題が山積している。コスト、耐久性、安全性、責任の所在。これらは解決すべき現実的問題である。しかし同時に、方向性そのものが持つ意味を見落としてはならない。