日本のサーモン養殖はこうして始まった
ここで、日本におけるサーモン養殖の歴史を振り返ってみます。かつて日本人はシロサケやベニザケの塩蔵品、つまり「塩鮭」を好んで食べていました。
この食習慣は明治時代に北海道を中心にシロサケの人工孵化放流事業が始まって以来、特に関東以北の地域で一般化しました。遠洋漁業が発達した戦後は北洋でのベニザケ漁業が大きく発展、西日本でもベニザケが塩鮭の主力商材となりました。
しかし1977年以降は200海里制度が国際ルールになり、北洋漁業は衰退、消滅します。その後は国産シロサケとアラスカから輸入されるベニザケが市場の中心となりました。
国連海洋法条約によって沖合での漁獲が制限されたため、いずれも沿岸域において脂の抜けた状態でしか漁獲できなくなり、脂の乗った「ホンチャン」ものは今では手に入りません。
筆者が子供の頃はホンチャンのベニザケやトキシラズ(沖取りのシロサケ)を食べる機会が多く、あのうっとりするような脂の乗った食味は今でも忘れられません。
ギンザケ養殖の開発から商業化への道のり
さて、1960年代に当時の日魯漁業(現マルハニチロ)は縮小する北洋漁業を代替する選択肢の一つとして、サケマス養殖業への進出を計画しました。
さまざまな魚種を対象に試験を繰り返した結果、最も飼育成績が良かったギンザケに絞り込んだ養殖技術の開発が進められ、1970年代後半に宮城県でギンザケ養殖を本格的に開始。
当時の養殖ギンザケは魚体が小さく刺身用として売るのは難しかったため、専ら加熱用切り身として販売されていました。刺身で供されることがなかったため、これをサーモンと呼ぶ人もいませんでした。
その後1990年代に入るとノルウェー産養殖サーモン(アトランティックサーモンなど)やチリ産養殖ギンザケの輸入が増え、市場での競争が激化し、前者の生食用の供給が増大。
この時代にようやく「サーモン」が日本の市場で市民権を持つようになります。三陸の養殖ギンザケは安価なチリ産養殖ギンザケとの価格競争に引きずられ価格が徐々に低下、採算性を失ってしまいました。
この状況が続き、好転する見込みが少ないことから、1993年に日魯漁業(当時ニチロ)は約2年にわたるギンザケ養殖業から撤退しますが、その後も小規模経営体が宮城県漁連を中心に粘り強く生産を維持。
やや遅れて参入した日本水産(現ニッスイ)も女川を拠点としてギンザケ養殖への関与を継続しました。こうして三陸のギンザケ養殖は年間約1万トン程度の生産量で安定的に推移するようになります。
トラウトサーモン(海産養殖ニジマス)の養殖も一部で始まりました。

