日本が動けない「3つの構造」
なぜ日本は規制に動けないのか。3つの構造的要因があると推測される。
第一に、憲法上の「表現の自由」への過剰配慮。日本国憲法第21条第2項は検閲と通信の秘密の侵害を禁じる。戦前の言論統制への反省から、戦後日本は表現の自由を絶対視してきた。しかし欧米では、表現の自由と子どもの保護のバランスを取る法的枠組みが整備されつつある。
第二に、教育現場の限界。OECD国際教員指導環境調査2024によると、日本の教員の勤務時間は小学校で週52.1時間、中学校で週55.1時間となっており、国際平均の約40時間を大きく上回っている。前回調査から改善は見られるものの、依然として参加国・地域の中で最長という状況が続いている。スマホ規制が導入されれば、さらなる業務が発生する。また、GIGAスクール構想で「1人1台端末」を推進してきた政策との整合性も問題だ。
筆者が地方の小学校教員に話を聞いたところ、現場の実態はさらに深刻だった。休み時間もろくにないまま働き、15年間人手不足が解消されない中、タブレット教育が組み込まれた。地方の公立学校は予算不足で十分なWiFi環境やタブレットを提供できず、授業中にWiFiが途切れる上に、安価なタブレットで使いづらいという。
「適切な環境もないまま形だけデジタル化するくらいなら、アナログの読み書きに集中したほうが学力は上がるのでは」という現場の声は、日本のデジタル教育推進の矛盾を物語っている。
第三に、省庁の縦割り行政が考えられる。文部科学省、総務省、経済産業省、こども家庭庁、デジタル庁など、複数の省庁がそれぞれ所管し、統一的な規制を打ち出せない構造がある。
日本の未来は?
パナソニックが欧州向けにガラケーを生産し、日本では需要が十分ではないため売ることができない。この現実が象徴するのは、世界が気づき始めた「スマホとSNSの弊害」に、日本がまだ十分に向き合えていないという面もあるだろう。
しかし、これは単純に国内でも「規制を強化すべき」という話ではない。規制によって子どもの自主性が阻害されたり、デジタル格差が拡大したりするリスクもある。家庭環境や障がいの有無によっても、スマホとの関係は多様だ。教育現場の負担に配慮しつつ実効性のある枠組みを設計し、リテラシー教育の利点を活かしていくべきだ。
ただ、同時にその「限界」と「欠点」を補う必要もある。
エッセイストで漫画原作者の忍足みかんさんが2022年に発表した『#スマホの奴隷をやめたくて』(文芸社文庫)は、スマホ依存から脱却する試行錯誤の道のりを綴ったユーモラスなエッセイだ。著書発売後にメディアに登場した彼女は(ご本人は若いのにもかかわらず)「老害」「死ね」などとオンラインで激しく誹謗中傷を受けた。その経験を経て、忍足さんはこう語る。
「スマホが使えることが前提になっている社会に取り残されている人もいる。一方で、スマホやタブレットに救われている人もいる。どちらかを排除するのではなく、デジタルとアナログの共生を実現してほしい」
世界が規制に向かう中、日本はどのようにスマホと共生すべきなのか。一つだけ確かなことがある。決断を先延ばしにすれば、子どもたちの健康被害が広がり続ける可能性があるということだ。
昨年、小中高生の自殺者が過去最多を更新し、G7各国における10~19歳の死因において、自殺が1位になっているのは日本だけだ。その事実とスマホに必ずしも直接的な因果関係はない。しかし、少なくとも親世代は子供の命と健康を脅かすリスクを軽視してはならないだろう。


