銃を撃っても無罪になった理由

事件後、銃を撃ったロドニー・ピアーズは、民事裁判で約7000万円の賠償を命じられた。だが、おそらくほとんど日本人は覚えていないだろうが、実は刑事裁判では無罪だったのだ。そのピアーズを世界で初めて取材したのが、ほかでもない私だった。

ではなぜ、私だけが取材を許されたのか。それは当時、とくに日本のメディアが「被害者がかわいそう」「銃を撃ったピアーズに厳罰を!」と声を上げるなか、私は判決前から無罪になると広言していたからだ。

私は事件当時から、こう考えていた。自分がピアーズの立場であったら、やはり銃を撃っていたかもしれないな、と。アメリカという社会で、夜、知らない人物が家に近づいてきて、ドアをノックする。

「フリーズ!」と叫んでも、よくわからないことを言って帰ろうとしない。これは、住人にとってあまりに危険すぎる。もし油断して家のなかに入られたら、自分たちが殺されてしまったかもしれない。

覆面警察は、彼の手に黒い武器を保持
写真=iStock.com/Patrick Daxenbichler
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実際、ピアーズに話を聞くと、日本のマスコミが現地取材等で過熱し、アメリカでも「ピアーズ許すまじ」という声が大きくなっていったという。そうした日本のマスコミのなかには、日本人が殺されたということに対するナショナリスティックなムードもあった。

だが、ジャーナリストである私にとって、そうした“感情”や“価値”はほとんど意味がない。もちろん、アメリカに長く住んでいたから、ほかの人よりも銃事情もわかっていたこともある。

一方で、自分も親として、子どもが殺された親の張り裂けそうな胸の痛みもよくわかる。ただ、フラットな立場で取材をし、人に話を聞き続けたところ、日本のメディアが騒いだから裁判を開くことにしたということも耳にした。

凶悪なテロリスト取材でもFBIに連絡しない

ピアーズ、犠牲者、そして周囲の社会それぞれの思惑あったのは事実だ。ただ少なくとも、アメリカ中が犠牲者を悼んでいたわけでもないし、銃規制に乗り気になったわけでもない。そうした真実には、冷静かつ客観的な視点に立たないと、なかなかたどり着けない。

ここまで大きなヤマでなくても、会社でもそうだろう。

「イヤな上司に呼び出された。何も悪いことをしてへんのに。ということは、どうせいつものように粗探しをされて、イヤミをぐちぐち言われるんやろうな……」

こんな気持ちで上司と向き合ったら、相手のイヤな部分が余計クローズアップされるだけだ。そして、上司のフラットな発言ですら叱責に聞こえてしまうだろう。

本当は聞きたいことがあったのに、答えに傷つきそうだから黙ってしまい、結局相手の気持ちを知り、自分の気持ちを知ってもらうチャンスを逸してしまう……。

これは、もったいないのではないだろうか。私はジャーナリストという仕事柄もあり、なるべく全方位、分け隔てなく人と接するようにしている。凶悪なテロリストにもインタビューしたことがあるが、もちろん警察に電話1本入れれば、即逮捕だっただろう。

だが、そんなことをする気は、みじんもなかった。なぜなら、テロリストの逮捕は、私の目標でも何でもないからだ。仲介者がいて、取材の条件はFBIに連絡しないことであった。

もし連絡していたら、私は殺されていたと思う。殺人犯だろうがテロリストだろうが、色眼鏡で見ることなく、冷静に客観的に接し、聞きたいことを何とかしてしゃべらせる。それを常に“一丁目一番地”にしているので、自分が望む答えにたどり着くことができるのだ。