きっかけはアイデアマンだった父親のメモ
「父親の書き記した土鍋のアイデアスケッチを見た時、直感的にこれだってピンときたんです」
事業再生の手がかりを模索していた康弘さんは、ある日、7代目長谷優磁がチラシの裏に書いた大量のメモの中から1枚に目を止めた。それが、「火加減なしで吹きこぼれなし、誰でも簡単においしいご飯が炊ける土鍋」のラフスケッチだった。
「土鍋の蓋を開けた時に立ち上る甘い香り、目に飛び込んでくる炊きあがりの米の艶、そして、口に広がる甘味のあるご飯のおいしさを、皆に味わってもらいたい」
その一念から生まれた7代目のアイデアだったが、事業再生に忙殺され、開発は棚上げになっていた。
この炊飯用土鍋に事業再生のチャンスを見た8代目は、7代目、佐藤和彦工場長とともに起死回生に打って出た。
試作品1000個以上、4年かけて完成したが…
試作品は、約4年間で1000個を超えた。
試作のたびに炊き上がったごはんは、焦げていたり、芯が残っていたりと食べられた代物ではなかったが、それを来る日も来る日も食べ続けた。
土や釉薬の調合、中蓋と外蓋の厚みや形状、蓋の穴の位置など、微妙に変えながら理想の組み合わせを探す作業は、終わりが見えなかった。
負債の返済が続くなか、開発資金も底をついていき、八方ふさがりの状態だった。それを打ち破る突破口となったのが、7代目が偶然工場で目にした、肉厚の土鍋の失敗作だった。
鍋の厚みを肉厚に改良したことで、2000年、ようやく薪で炊くごはんが再現できる土鍋「かまどさん」が完成した。
完成の喜びもつかの間、康弘さんにとって、最も厳しい試練が待っていた。今までにない製品であっただけに、世の中に浸透させることは簡単ではなかった。
「一人でかまどさんとガスコンロをスーツケースに入れて、日本全国津々浦々営業に回りました。その場でごはんのおいしさを知ってもらいたかったので、実演販売を続けました。かまどさんがいつか売れるという自信はありましたが、この時期が一番つらかったですね」
小売店に営業するものの、伊賀焼の炊飯用土鍋と言っても、伊賀焼の知名度が低く、門前払いが常だった。日本全国行脚の旅は約1年半続いた。
ところが、ある日を境に、いきなり状況が急変した。かまどさんが爆発的に売れ出したのだ。


