古琵琶湖があった地ならではの土

「原料の伊賀の里の土こそが、他の産地にはない唯一のものなのです。火にかけても耐えられる土は全国で伊賀の土だけです」

実は、伊賀は約400万年前に琵琶湖があった地であり、この地の土は古琵琶湖に生息していた生物や植物の化石が堆積してできているため粗い。この粗い土に、薪で焚いたかまどご飯のように、米のうま味と甘みを引き出す特性がある。

「この陶土でできた土鍋は熱を保つ蓄熱性が高いので、じっくりと穏やかに米に火を通し、火加減の心配もいりません。また、火から下ろした後でも冷めにくく、コトコト煮込んでいるのと同じ高い温度を保つので、蒸らしにも最適でごはんがふっくらとした状態になるのです。かまどさん任せで美味しい炊飯が叶います」

ずんぐりした分厚い胴体に重い内蓋と外蓋の二重構造の形になっているのも、昔ながらの重い木蓋を乗せた羽釜を薪で炊く「かまど炊き」を再現するためだ。

外蓋の中に、さらに内蓋がある
撮影=プレジデントオンライン編集部
外蓋の中に、さらに内蓋がある

恵まれた陶土と伝統の技を駆使しても、「かまどさん」にたどり着くまでに、発想から約10年の歳月がかかった。そこまでの道のりは、創業1832年(天保3年)の窯の命運をかけた親と子、そして工場長3人の険しい闘いでもあった。

20代の営業部長が背負った負債18億円

「長谷は終わったな」

地元でこう囁かれた。

1995年、阪神・淡路大震災時に多くの建物で外壁タイルが崩落したことをきっかけに、長谷園の売上の7割を占めていた建築用タイルの施工キャンセルが殺到した。

売上は低迷、運転資金の借り入れだけが膨れ上がり、5億円の売上に対し、負債額は18億円に達した。

大学卒業後、東京の百貨店に勤務していた康弘さんは、傾きかけている家業の窮地を知り、帰郷を決意する。

里山の中に、長谷園の窯や資料館、体験工房が立ち並ぶ
撮影=プレジデントオンライン編集部
里山の中に、長谷園の窯や資料館、体験工房が立ち並ぶ

幼い頃よりゆくゆくは家業を継承するという心づもりでいた。「見聞を広げろ」と父に言われ、高校から東京の4畳半のアパートで1人暮らしを始めて約10年。こう早く、その日が来るとは想像もしなかったという。

膨大な借金の返済、大量の在庫処分、そして、家業の立て直し――。「営業部長」となった20代の肩には重すぎる責務だった。

「伊賀に戻ったその日の晩に、わが家に飛んで来た銀行から、家業をどうするのか、負債をどう返していくのか、問い詰められました。家業は続けていきます、がんばりますとしか言えませんでした」

それに加えて、奈良時代から続く伊賀焼の伝統を守る覚悟も必要だった。

「伊賀では家族や個人で細々続けている小さな窯が多いので、私どものような窯元が踏ん張って、伊賀焼全体を盛り立てないといけないのです」

長男の康弘さんの声掛けで、3人の妹と弟も実家へ戻ってきた
撮影=プレジデントオンライン編集部
長男の康弘さんの声掛けで、3人の妹と弟も実家へ戻ってきた

何としても、事業再生の手がかりを見つけなければならなかった。