こだわりの土に関する質問が続く
ジョブズが、あまりに作品をじっくりと見て、土という専門的なことに興味があるようにみえたので、釋永さんは、「もしかしたら、この人たちは同業者なのか? アメリカで、自分で作品をつくっているのか?」と疑った。
そう思いながらも、ジョブズの土に関する質問は、釋永さんの芸術家魂に触れていた。
「よくぞ、土のことを聞いてくれた!」という気持ちだった。白い土には、もっとも思い入れがあったからだ。というのは、釋永さんは30代の頃、韓国の土に魅力を感じ、現地で窯を借りて茶碗を焼いていた時期があった。手本は李朝時代に作られた高麗茶碗など、日本で名器とされているものだった。
しかし、30代が終わる頃、自分の出生と関係がない土地の焼き物の形を借りて創作を続けることに、陶芸家として自己矛盾を感じた。生まれた立山町には貴重な白い粘土があり、自分はそれをよく理解している。生まれた土地の、いちばん思いを込めることができる土で、自分なりの表現を探さなければいけないのではないか。その延長線上で開いた京都の個展だった。
そんな釋永さんの答えがジョブズに火をつけたのかもしれない。彼の質問は白い土のことに収斂していった。
彼は、「どうやって土を見つけるんだ」と質問した。釋永さんは、「土を舌でなめるんだ」と答え、「そうして土の良し悪しを見極め、粒子の細かさ、そして、土が溶けるスピードで耐火度を感じ取るんだ」と話した。
嘘やごまかしは許されない本気の問答
釋永さんによると、ジョブズは土が窯の炎で変化して焼き物になることに、尋常でない関心をもっていたという。この間、釋永さんは決して流暢とは言えない英語で答えながら、ずーっとひとりで対応していた。英語の質問が聞き取れないと、そばにいたローリーンがやさしい英語に言い換えて、助け舟を出してくれた。
ただ、ジョブズの質問は、しだいに言葉だけでは答えられないことにまで及んだ。「土は山のどの辺にあるんだ」と聞かれたときには、紙に山の絵を描いて、土がある層を図解して説明した。
こうしたやり取りは1時間以上も続き、時計は午前11時をまわっていた。その間、ジョブズは釋永さんの目を真正面からじっと見続けていた。
「目の前に彼の顔があり、“よそ見なんてさせないぞ”みたいな感じで、食い入るように見つめてきました。うそを言えないような、何かごまかしてやろうと思っても、あの人の見方というのは本当のことを言ってしまいますね。個展の初日に、知らない人にかき回されるのも癪にさわりますよね。ですから、僕だって本気でじっと見てしゃべっていたんですが、向こうは全然たじろぎもしないでじっと見てくる」

