質問責めにしても満足せず、次の日も来店

僕はこの話を聞いて、ジョブズが大学時代にマスターしたという「視線と沈黙で他人を従える術」を思い出した。ジョブズの自伝で友人は、「彼の得意技に、話し相手を見つめるというのがあった。相手の目をじっと見ながら話し、目をそらさせない。そうやって、自分が欲しい反応を手に入れるんだ」と話している。釋永さんを質問責めにしていたジョブズの目は、まさにこれだったのではないか。

ジョブズは、「何歳からこの仕事をやっている」とも聞いた。釋永さんが答えると、「同じ歳だな」と言った。釋永さんは1954年7月生まれ、ジョブズは1955年2月生まれだ。

翌日も、ジョブズは妻と開店前にギャラリーを訪れた。

彼は、「きょうは1日オフで小旅行がしたい。どこかへ行きたい。焼き物を見たい」と言った。興味の対象は焼き物だった。

ジョブズは、釋永さんの白い土になお興味があったようで、「あなたが土を掘っているところや窯も見たい。京都からどれぐらいで行けるのか」と聞いてきた。いまにも富山まで飛んでいってしまいそうな勢いだった。

夫婦はハイヤーで「焼き物ツアー」へ

釋永さんはやや困惑しながら、「片道5時間かかるので、日帰りは無理です」と答えた。朝から個展の準備に追われて忙しく、ジョブズを相手にするのを少し面倒にも感じていた。

釋永さんが外を見ると、少し離れたところにジョブズを乗せてきたハイヤーが駐車していたので、運転手を呼んだ。大島浩さんだった。「焼き物を見たい」というジョブズの希望を踏まえ、釋永さんは日帰りで行けるところにいる信楽焼と丹波焼の知り合いを紹介した。道順などを教えると大島さんはよくわかっていたようで、「じゃー、行ってみます」と言うと、ジョブズを乗せてギャラリーをあとにした。

僕は、釋永さんの登り窯を見せてもらったことがある。立派な登り窯だった。釋永さん自ら掘った白い土が焼かれ、越中瀬戸焼独特の「景色」ができる場所だ。窯の内側をのぞくと、そこには炎でガラスのように変化した灰がはりついていて、エメラルドグリーンの世界が広がっていた。初めて目にする焼き物の美だった。この光景は、ジョブズもさぞ見たかったに違いない。

彼がオーダーした作品がつくり続けられた現場を、僕は自分の目で見ることができて感激した。そして、日本人の一人として、先人が磨き上げてきた日本の芸術というものをもっと学ぶ必要性も感じた。