- 【前編】箱根駅伝で誰も履いてくれない屈辱より耐え難かった…アシックス開発者が言葉を失った契約選手の"衝撃行動"
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悔しくて眠れぬ夜
2019年11月末某日、アメリカ・ボストン。あるホテルの一室で、アシックスの廣田康人社長(当時)は眠れずにいた。悔しくて。打ち消しても打ち消しても頭に浮かんでくるのは、昼間の投資家たちとの面談だ。
「ボロクソだったんですよ」
廣田会長は、顔をしかめてそう語る。
「どうしたんだアシックスは」
「昔はアメリカ市場でもすごいシェアがあったのに、存在感を示さなきゃダメじゃないか」
「もっといいものを作ってちゃんと売れるようにしなきゃダメじゃないか」
1日5件ほどの投資家との面談で、聞こえてくるのはこんな声ばかり。
当時のアシックスは注目度が低く、株価は424円。約2年間、低迷が続いていた。投資家には「会ってください」と同社からお願いしてアポイントを取っていた状況だった。そうしてせっかく会ってもらえたのに、全員から罵倒された。
「寝ることが趣味みたいな人なんで」と自らを語る廣田会長が、その夜はとても眠れなかった。悔しさと、時差と。身体の震えが止まらなかった。
「これはなんかやらないといかんなと。世界で一番速く走れるシューズを作らせないといかんと」
眠れぬ夜、廣田会長の頭に浮かんだのは、アシックス創業者・鬼塚喜八郎の言葉だった。「まずは頂上から攻めよ」。そうだ。頂上奪還作戦だ――。
翌朝、ボストンからすぐに「世界一速く走れるシューズを作るチームを作る。若手を集めろ」と指示を出した。11月22日までの出張を終え、12月20日には頂上奪還のための会議が開かれた。参加メンバーは、法務・知的財産、研究、開発、生産、スポーツマーケティングから集まった10人。
社長直下、部署横断で「世界一速く走れるシューズをつくる」ことだけを追求する特任チーム『Cプロジェクト』結成の瞬間だ。
Cは、鬼塚喜八郎の言葉「まずは頂上(Chojo)から攻めよ」からとられた。
廣田会長は「社長じゃないとできないですよね、こんなことは」と快活に笑う。
「言い訳から入った」
なぜ、そこまで追い詰められたのか。
2017年、ナイキが厚底ランニングシューズ「ヴェイパーフライ」を発売した。「軽くするためには靴底を薄くするしかない」という常識を覆す、ゲームチェンジのシューズだった。廣田会長も「これはもう完全なイノベーションです。本当に敬意に値する」と認める。
しかしアシックスは、その衝撃を正面から受け止めなかった。これまでの成功体験が、目を曇らせていた。
「厚底というのは誰でも履けるもんじゃないとか、一時的なブームだとか、選手が怪我をしやすいとか、言い訳から入ってしまったんです。確かにカーボンが入ってますから、かなりの筋力がないと履けないし、怪我をする可能性もある。実際、怪我をされた方もいらっしゃったようです。でも、革新的な技術だった。それを認めずに、過去の栄光にしがみついていたんです」
結果、箱根駅伝のシェアは2017年の31.9%から、2021年には0%へと転落した。アシックスのシューズへの信頼は失墜したのだ。


