人類の歴史上、普通の人々がバーチャルな幸福感に浸れるようになったのは、長く見てもこの100年くらいのことです。

月読寺住職・正現寺住職 小池龍之介さん

それ以前は、身を粉にして働かなければならない日々の中で、快感のスイッチが入る機会は稀にしかありませんでした。収穫祭やたまのお祭りといったハレのとき。あるいは1日の労働を終えて「ああ、ご飯だ」というときに快感が走ったりしたのかもしれませんが、その頻度は現代人に比べてはるかに少なかった。

脳内の快感物質は麻薬のようなものです。快感を連続して入力するということは、麻薬を絶えず脳内に分泌している状態なので、中毒化します。言ってみれば慣れが生じて、同じ分量の快感物質では同じ気持ちよさを感じられなくなる。同じ気持ちよさを感じるためには、より多量の快感物質を必要とします。それができないと、現状維持をしているだけで“前より状況が悪くなってはいないのに”、「自分は不幸だ」と感じるようになる。

ときどき快感が走る程度の生活なら、中毒になることはありません。ましてや畑で鍬を振り下ろす、薪で火を起こすというような反復運動に集中していると、快感物質が抜けて心が落ち着いてきます。昔の人々の生活は快感をどこまでも追い求めるのではなく、自然に絶えずリセットする習慣になっていた。快感に身を委ねて暮らしていられたのは王様や貴族などひと握りで、そうした人々はドーパミン中毒になって心の病に陥りやすかったのですが、一般庶民は幸いにして日々を穏やかに過ごしやすかったはずです。

翻って現代では、年収200万円で負け組と言われている人でさえ、その多くは困窮しないで、昔の王様並みの生活ができます。ちょっとお金の使い方のバランスを変えれば、豪華な食事もできる。デジタルツールで瞬時に他人とつながることもできます。

お金を出せばいくらでも自分の欲を満たせて脳内麻薬を生み出せる。歴史上、大半はそういう状況にない中で人間は自己形成されてきました。快感スイッチを連続入力するような現代の生活は、人間の生き物としての仕組みを壊してしまう気がします。