一流の指導者がたどり着く「教えない」という境地

――では、アドバイスが成り立たない状況で、人を育てる責任を負うリーダーはどうすればいいのでしょうか。

小倉:世界のトップランナーたちのエピソードが参考になります。元プロ野球選手のG.G.佐藤さんがメジャーリーグでスランプに陥った時、あるコーチが朝から晩まで、誰よりも長く練習風景を見ていたそうです。

でも、一言もアドバイスしない。来る日も来る日も。痺れを切らした佐藤さんが「何か言ってくださいよ!」と言った瞬間、コーチは待ってましたとばかりに、山のようなデータと動画を持ってきて、「あなたの良かった時と今の差はここで、データ的にこうだから、ここを直したらどうか」と完璧なプレゼンをしたそうです。

佐藤さんは「はやく言えよ!」と思ったそうですが(笑)、コーチに「なぜ今まで言わなかったんですか?」と尋ねた。するとコーチは「あなたから聞かれないのに教えても、何の意味もないからだ」と。「じゃあ、僕が聞かなかったら、この山のようなデータはどうするんですか?」と聞くと、「捨てる。以上」と。

小倉広さん
画像提供=MEETS CAREER by マイナビ転職

――それほどまでに自発性を重視していたんですね。

小倉:スペインのサッカークラブ、ビジャレアルCFで日本人として初めてコーチを務めている佐伯夕利子さんも、人材育成において「教えない」ことを大切にしていると著書で紹介されています。一流を極めた人の指導法が「教えない」という一点に絞られていくのは面白いですよね。

――なんとも示唆深いですね。ただ、「教えない」のが一流の指導法だとしても、ビジネスの現場ではそうも言っていられないように思います。例えば、モチベーションの異なるメンバーを率いて、一つのプロジェクトを完遂させなければならないこともあるでしょう。そんな時、アドバイスをする以外で、どう人を動かせばよいのでしょうか。

小倉:大前提として、「相談的枠組み」を作ることが必要です。相談的枠組みとは「本人が自ら変わりたい、相談したい」と思っていること。スクールカウンセラーをしていると、親が無理やり子供をカウンセリングの場に連れてくることもあるのですが、本人が嫌がっている限り、カウンセラーは何もできません。教育も同じで、本人が主体的に学びたいと思わない限り、身にならない。だから、大事なのはそう思いたくなるような環境づくりですよね。それをやったらすごくいいことがある、ということを見せるとか、「あの人みたいになりたい」と憧れてもらえるよう努力をするとか。

みんな「正しいことを言いさえすれば相手は従う」と勘違いしていますが、正しいことを言うだけでは、得てしてほとんど効果がない。教育で一番難しいのは、正しいことを言うことではなく「変わりたい」と思ってもらうことなんです。イギリスの諺にも「馬を水辺まで連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない」とあります。

インタビューに答える小倉広さん
画像提供=MEETS CAREER by マイナビ転職

――では、人が表面的にではなく、心の底から本当に変わりたいと思うのは、どういう瞬間なのでしょうか。

小倉:身も蓋もありませんが、「痛い目に遭った時」でしょうか。これまで「変わりたい」と思いながらも、ずっと変われなかった人が、本当に変わるタイミングは「生物学的な死」(余命宣告など)、「経済的な死」(自己破産など)、そして「社会的な死」(逮捕など)が差し迫った時だと言われています。

そういえば、先日ある大企業の研修で、30代で役員候補の優秀な本部長が部下にダメ出しばかりして組織を崩壊させつつある、という相談を受けました。おそらくその方は大きな挫折や困難に直面するまで「なぜダメ出しではうまくいかないか」に気づかないでしょう。だから、どんなポジションであれ、とりあえずやらせてみる、そして失敗させてみる、という組織の体制や経営者の器量も必要かもしれません。