『機動戦士ガンダム』を言語学から観る
名作に名ゼリフはつきものだ。みなさんにも、すぐに思い出せるドラマや映画、漫画のセリフが一つか二つはおありだろう。しかし、それらを名ゼリフたらしめているものは何だろうか?
本書『パンチラインの言語学』の趣旨をざっくり言えば、そういった名ゼリフ(=パンチライン)を言語学の観点から眺めてみようというものだ。
本稿では、国民的アニメ『機動戦士ガンダム』(1979~1980年放送)を取り上げる(*1)。本書の前項ではニュータイプの話でお茶を濁してしまい、言語学要素がいつにも増して薄めだった自覚はある。できればここでもアムロとララァの謎会話のことや、ララァに「大佐、どいてください、邪魔です!」と言われてしまった可哀想なシャアの話とかをしたいものだが、そこをぐっとこらえて、もうちょっと言語学寄りに『ガンダム』のセリフを眺めてみたいと思う。
この作品の特徴の一つとして、一部のキャラのセリフの「芝居がかった感じ」が挙げられる。たとえばシャアの初登場時のセリフは、「私もよくよく運のない男だな。作戦が終わっての帰り道で、あんな獲物に出会うなどとは」。初端からこんな帝国劇場っぽいセリフを吐くなんて、さすがシャアさん、復讐のために素顔を隠して演技を続けているだけのことはある。観客席から「よっ、キャスバル兄さん!」と声をかけたいぐらいだ。ちなみに「キャスバル」とはシャアが隠している本名である。
倒置法で高められる効果は何か
こういったセリフの芝居っぽさを高めている要因の一つとして、倒置法の使用が挙げられる。
シャアの「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえのあやまちというものを」や、「見せてもらおうか、連邦軍のモビルスーツの性能とやらを」も倒置法。
シャア以外にも、独裁総統ギレンが「圧倒的じゃないか、我が軍は」「あえて言おう、カスであると!」のように、倒置法をよく使っている。
ちなみに倒置法の多さは私が発見したことではなく、昔からたびたび指摘されていることだ。ネット上ではたまに「『ガンダム』の倒置法を普通の語順に直す遊び」が流行ることがある。
つまり「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえのあやまちというものを」を「自分自身の若さゆえのあやまちというものを認めたくないものだな」に変えたり、「あえて言おう、カスであると!」を「カスであるとあえて言おう」に変えたりするのだ。普通語順のイマイチさがよく分かり、倒置法の効果が際立つ。

