仕事に追われつつ時折ふと感じる、時代からの取り残され感。
その穴埋めのために、やるべきことは多々あるはずだが、そこには「温故知新」ともいうべき、古くて新しい逆説があった。

“次の時代”に行けなかった龍馬・信長

「時代遅れ」をことさら意識したり、新しいものを取り入れようとすればするほど、逆に時代遅れになりかねないと考えている。たとえば、書店に並ぶ書籍。「時代遅れにならないもの順」に序列をつけるなら、書かれた年代の古いもの順になるに違いない。

日本なら『古事記』『日本書紀』、海外なら『旧約聖書』『新約聖書』や、ローマ軍を率いたカエサルによる『ガリア戦記』などは、「時代遅れ」とは無縁の存在だ。ユリウス・クラウディウス朝時代のローマ帝国の政治家であり、哲学者・詩人でもあるセネカの著作を「時代遅れだよ」という現代人もいないだろう。

(構成=小澤啓司 撮影=永井浩(山口氏)、石橋素幸(書籍) )