現代より、女性の地位がはるかに低かった時代に、炭鉱を経営し、銀行を経営、生命保険会社を創業し、日本初の女子大学創立に尽力した広岡浅子。新しい時代を把握して古いものを生かす柔軟な発想と、それを実行させる強靭な精神力。現代の日本人がこの人物から学ぶことは限りなく多い。

反対を押し切り、新エネルギーにかける

座右の銘は「九転十起」。七転八起どころか、9回転んだら10回起き上がればいいというほどですから、広岡浅子の行動力は並外れていました。炭鉱経営に銀行経営、生命保険会社の創業に日本初の女子大学設立と、明治の日本を奔走した実業家です。

浅子といえば三井財閥のお嬢さん。しかし奉公人相手に相撲をとったり、まげをばっさり切り落としたりと、度胸のあるエピソードにも事欠きません。そして新しもの好き。浅子がモデルとなったドラマ「あさが来た」をご覧になって、浅子の颯爽としたドレス姿が印象に残っている方も多いと思います。女性といえば裁縫にお茶という時代にあって書物に親しみ、大阪の両替商・加島屋に嫁いでからはそろばんや簿記を独学で勉強しました。ビジネスにおいても先見の明が光っています。

(構成=東雄介)