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「賤ヶ岳の七本槍」には入っていない…秀吉軍が大崩れし白旗を揚げて逃げたのに"功労者"として出世した武将
天王山に築かれた山崎城の本丸。奥の高台に天守が築かれていたという
かつては秀吉の居城だった長浜城
北庄城の本丸付近では発掘された石垣が見られる
佐久間盛政の肖像画。その勇猛さから「鬼玄蕃」とも呼ばれた(写真=楊斎延一画「佐久間盛政秀吉ヲ襲フ」、1893年/CC-PD-Mark/
Wikimedia Commons
)
岩崎山砦の尾根を分断する堀切
岩崎山砦の主要部。手前に平虎口を伴う土塁、奥に土塁囲みの主郭
大岩山砦の長大な横堀
中川清秀の墓
首洗池。地元民たちが清秀の遺体を隠す際、ここで首を洗ったという
賤ヶ岳砦から北の眺望。右手の尾根上に岩崎山砦、大岩山砦があった
賤ヶ岳砦から南西の眺望。右奥が琵琶湖
賤ヶ岳砦から南東の眺望。左奥のひときわ高い山が伊吹山。その向こうから秀吉の軍勢が手前側へと向かってきた
秀吉が陣を置いたとされる“猿が馬場”。岩崎山砦、大岩山砦と同じ余呉湖の東側に伸びる尾根上にある
“猿が馬場”から余呉湖のある西方面。湖畔との標高差は100m以上。現在は木々に覆われているが、当時は眺望が開けていたのだろう
北庄城跡に立つ柴田勝家像
賤ヶ岳砦にたたずむ、戦いの果てに疲労困憊した兵士の銅像
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