現場から始めた全国キャラバン
1950年5月、大阪市で生まれる。父の太郎は医師で府会議員だったが、その後、国会議員となる。弟が1人。子ども時代はガキ大将で、日が暮れるまで外で遊んで育つ。
大阪教育大学付属の小学校から高校まで進み、大阪大学で生物科学工学を専攻する。だが、大学院で博士課程へ進んだところで、転進した。79年、シカゴ近郊のノースウエスタン大学の大学院へ留学し、経営学修士号(MBA)を取得する。
79年春に帰国し、4月にサントリーに入社。28歳と11カ月の新人だった。大阪支店にいたころに父が総理府総務長官に就任し、秘書官に呼ばれた。1年4カ月で会社に戻り、財務部へいく。企画部を経て96年春に突然、全く縁がなかった医薬事業部へ異動する。そして、医薬事業が第一製薬(現・第一三共)に売却されたとき、部下とともに移籍した。この間の挑戦や苦労については、次回(5/17公開)紹介する。
第一製薬でも、経営企画部長を務めた。三共との経営統合が決まり、医薬品事業に集中するため、その他の事業の見直しを進める。臨床検査薬や試薬を手がける第一化学薬品、放射性の医薬品や化合物の第一ラジオアイソトープ研究所など、2006年10月から1年足らずの間に、次々に売却した。
2010年春、社長就任を内示され、6月に就任する。事業買収された側の人間が、買収した企業のトップに就いた。珍しい例だ。社長交代の発表会見で「サントリー出身でありながら、選んでくれた三共出身の庄田社長の懐の深さに、感動した」と言った。率直な感想で、「不昧己心」は、こういうときにも表れる。