21世紀の会社像 反発おそれず提案
バブル経済が膨張していた1980年代の終わり、在職していたサントリーで21世紀の会社像を描いた。88年8月に企画部の課長となり、若手部員を率いて、半年余りかけて「“夢”2001」と名付けた将来ビジョンを策定する。
主眼は「脱・ウイスキー依存」だった。当時、焼酎ブームに火がついて、ウイスキーの売上高は下り坂となり、業績が落ちていた。財務部から経営戦略を立てる部門へ異動し、「この会社は、10年たったら、どうなるのだろうか」を探る。
頭には、酒類事業を立て直そうというだけではなく、会社の軸を製品というハードからソフトへと移せないかとの思いが、強くあった。その結果、ビジョンは、大胆な内容となる。2001年の中核事業として5分野を示したなかで、第一に置いたのは「コミュニケーション」。次いで「健康・ライフサイエンス」「エンタテイメント」とし、創業以来の大黒柱である酒類は4番目、食品は5番目にしか出てこない。
当然、社内の大半が反発した。多角化は、伝統的に嫌いではない社風だったが、「これは、許せん」との声が広がる。決して製品を軽視してはいない。ただ、日本人の生活様式が変わり、高齢化や国際化が進み、「生活ソフト」というような領域が大きな地位を占めていく。酒類事業が中心の会社であっても、その周辺に「生活ソフト」は広がっていくはずで、そこへ攻め込んでいく。そう考えて、心が命ずるままに書いた。
取締役会で説明したが、冷ややかな空気が流れていた。いまでもよく覚えているが、部屋の向こう側に、90年まで社長を務めた佐治敬三さんがいた。説明など全く聞いてない様子で、何かメモを書いては秘書に渡している。ところが、説明が終わると、パッと手を挙げ、前向きな質問をしてくれた。それで議論が進み、最後に佐治さんが「ええやないか」と言って、了承された。満40歳が近づいているときだった。