300人と新社へ 心をひとつに結集
東京・日本橋本町にある本社ビルの一角に、昨年2月、「くすりミュージアム」をオープンした。薬は体の中をどう動いていくのか、薬の種はどうやってみつけるのか、みつけた種をどう薬にしていくのかなど、薬に関する様々なことを、やさしく解き明かす。楽しめるように、クイズやゲームも混ぜている。
中高生を中心に、年間に約1万6000人が訪れ、夏休みには会社の研究者たちがきて、いろいろな実験を教えている。もちろん、無料だ。見学を終えた少年少女たちから、ときに「製薬会社って、人々にとってほんとうに大切なものを提供する、やりがいのある仕事なんだ。やってみたいな」といった感想が出る。
社員たちがそれを聞けば、すごく喜ぶだろう。常日ごろ、家族や知人に病気で苦しむ人がいれば、誰もが「何とか役に立ちたい」との思いを強める。その思いが1つにまとまれば、さらに社会の期待に応えていく力となる。ミュージアムは、世の中への発信基地であるとともに、社員の心を1つにする拠点でもある。
40代半ばまで、そんな薬の世界に関わることになるとは、思いもしなかった。サントリーにいた1996年3月、突然、医薬事業部の企画部長となる。医薬事業は総勢約350人で、毎年大きな赤字を出して、苦闘が続いていた。驚きの人事ではあるが、「そうか」と思うところもあった。前回(http://president.jp/articles/-/9375)触れたように、企画部課長時代に21世紀の会社の姿を描くビジョンをつくったが、業績はその軌道からはずれていた。
やはり、事業の「選択と集中」が必要だと考え、内々に部下を使い、ウイスキーの売り上げがもう10年下がり続けると想定し、どの事業をやめるべきなのかを探ってみる。答えは「医薬かビールのどちらかをやめたほうがいい」だった。それも、1、2年のうちにやめないといけない、と出た。結果を、取締役会で報告する。1カ月後、上司の企画部長に「じゃあ、医薬へいってくれ。思う存分、やってこい」と言われた。