異文化理解を養うロンドンとの縁
1992年の初夏、ロンドンから車で2時間ほどのオックスフォード大学を訪ねた。日本生命のロンドン事務所長と現地法人の社長を兼ねて着任し、2カ月がたっていた。大学に多数あるカレッジの1つ、キーブル・カレッジのキャメロン・エーヴリル学長に、昼食へ招かれた。
会社が大学に寄付をしたことで、毎年、カレッジが社員の留学を受け入れてくれていた。「お礼とご挨拶に」という部下に頷き、案内してもらう。赴任直前に東京の英会話学校で急ごしらえした英語で「初めまして」と言った後、学長に「どういう研究をされているのですか?」と聞いてみる。「後期ローマ帝国です」との答えが返ってきた。
英語は通じた。「私も、ベリサリウスが大好きです」と東ローマ帝国の武将の名を挙げたら、「日本人に何人も会ってきたが、ベリサリウスの話を聞いたのは、初めてです。何で興味があるのですか?」と驚き、会話が一気に弾む。自称「歴史オタク」。44歳のときの出会いだ。
すっかりうち解け、以来、ファーストネームとニックネームで呼び合う仲となる。彼女は、日本へ帰任する際に事務所で開いた簡素な感謝パーティーにも来てくれたし、数年前には学生たちを連れて来日し、旧交を温めた。異なる文化を互いに受け入れ、敬意を払い合い、絆を大事にすることを学んだ縁だ。
ロンドンとの縁は、どの都市よりも深い。29歳のとき、「経営計画の立て方」と題した係長への昇格論文で「売り上げより利益が大事だ」と書いたら、優秀賞をもらい、3カ月間、英米などへいかせてくれた。その後、海外証券会社への投資の調査でも、ロンドンへいく。そして、前号で触れた金融制度の改革へ向けて、生保業界の欧米視察団を3度結成し、同行した。