副社長に直訴した「ビッグバン」の先
1987年10月14日、朝日新聞の朝刊一面に「大蔵省が『投資銀行構想』、業務を実質自由化」という見出しの大きな記事が載る。読んだ瞬間、「あっ、これは、あのときに議論していた件だ」と頷いた。
記事によれば、大蔵省(その後、金融庁と財務省に分割)が証券業務と銀行の兼営禁止や、長期信用銀行や信託銀行、普通銀行の分離など、自由化の壁となっている日本の制度を改め、業務をまたがって展開できる「投資銀行」の創設を打ち出す、としていた。戦後続いた制度を大きく変え、各業態の間に高く設けていた「垣根」を崩すという構想だ。大蔵大臣の諮問機関である金融制度調査会(金制)の研究会が近く報告書に盛り込み、金制で審議を始め、翌年5月に答申をまとめる、という。
日本生命の財務企画の運用企画部門にいた6年前、長期信用銀行の代表だった日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)の産業調査部へ出向した。そのとき、興銀の論客たちが予測していた流れの通りで、その是非を巡る論議に、自分も参加した記憶が残っていた。
記事には、生命保険に関する記述は、ひと言もない。だが、興銀で重ねた議論や、その後も銀行や証券の先輩たちに話を聞き、大蔵省や日本銀行の面々と意見を交換して磨いたセンサーが、かすかな兆候を感知する。「この大変革に、必ず生保も巻き込まれる。いや、むしろ進んで議論に参加すべきだ」と確信した。
上司に当たる副社長に「たいへん大きな話です。この制度改革議論に参加しないと、生保は時代の変化に取り残されます」と直訴する。「ちょっと考えさせてくれ」と言った副社長は、1カ月弱の間に他の役員の意見も聞き、大蔵省と交渉して、金制での論議に入れてもらう内諾を得てくる。そして、「きみが、その事務局をやってくれ」と指示された。