金融危機の嵐が残してくれた財産
三井住友
ファイナンシャルグループ社長
宮田孝一(みやた・こういち)
1953年、徳島県生まれ。76年東京大学法学部卒業、三井銀行(現・三井住友銀行)入行。市場資金部長などを経て、2006年三井住友銀行常務執行役員、09年取締役兼専務執行役員。10年三井住友フィナンシャルグループ取締役。11年より現職。
ファイナンシャルグループ社長
宮田孝一(みやた・こういち)
1953年、徳島県生まれ。76年東京大学法学部卒業、三井銀行(現・三井住友銀行)入行。市場資金部長などを経て、2006年三井住友銀行常務執行役員、09年取締役兼専務執行役員。10年三井住友フィナンシャルグループ取締役。11年より現職。
1998年夏から秋にかけて、銀行に入ったころには想像もしなかった危機を経験した。三井銀行と太陽神戸銀行が合併してできたさくら銀行(現・三井住友銀行)の東京営業第6部で、電力やガス、石油などのエネルギー産業やセメント、化学などの企業への融資を担当していたとき、44歳だった。
前年から巻き起こった戦後最大の金融危機のなか、北海道拓殖銀行が経営破綻し、「次は、どこの銀行が行き詰まるか」との声が、世の中に飛び交う。さくら銀行にも、経営不安説が流れた。バブル崩壊に伴う不良債権の膨張に対し、十分な自己資本がないのではないか。そんな観測の下、いくら「うちは大丈夫だ」と力説しても、株価は下落を続けた。
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