反対派を締め出し次々と「総裁命令」

東海旅客鉄道(JR東海)会長 
葛西敬之
(かさい・よしゆき)
1940年、兵庫県生まれ。63年東京大学法学部卒業、日本国有鉄道入社。69年米ウィスコンシン大学大学院経済学修士号取得。87年東海旅客鉄道(JR東海)発足に伴い、取締役・総合企画本部長。90年副社長、95年社長、2004年より現職。

1985年6月、国鉄本社職員課長で、44歳のときだ。政府が、国鉄改革に消極的だった総裁以下の首脳陣7人を更迭し、元運輸事務次官の杉浦喬也・新総裁ら分割・民営化を推進する顔ぶれに入れ替えた。

第二臨調の基本答申で設立された国鉄再建監理委員会が、改革に関する最終答申を出すまで1カ月。反対派の猛烈な政界工作で、改革への道は閉ざされかけていた。だが、優位に立ったとして生じた反対派の緩みをつかみ、「首脳陣の一新」を実現する。原動力は、丹念に掘り起こして大事にしてきた人脈の確かさと、鉄道事業を長期的に考える視点だ。

40歳になり、仙台勤務から本社へ戻る直前に「最後の再建計画」と称された経営改善計画を読んで「もうダメだ」と痛感した。経営陣に危機意識が乏しく、赤字線の抑制も運賃値上げも国の助成金も、すべてが中途半端。巨額のツケが次世代へ先送りされ、2年か3年おきに再建計画をつくり直す姿が、思い浮かぶ。その結末は、国鉄崩壊だ。

だが、新幹線にしても都心の山手線にしても、失ってはならない「国民の足」だ。いったん過去を切り離すことで、何とか生き返らせたい。過去を切り離すとは、巨額な債務の大半を国の管理下に移し、事業体として採算性を回復することで、政府・与党に「もう、これ以上の支援は不要になる」と信じてもらえなければ、実現しない。それには、40万人規模に膨張した非効率な要員を、自らの手で半減する必要もある。

一方、国鉄の圧倒的な多数は現状維持を望んでいた。首脳陣更迭の前年夏、自民党で国鉄再建小委員会の委員長を務めていた三塚博・衆議院議員が、分割・民営化を前提とした著書を出版した。反対派は、三塚議員を「守旧派の同士」とみていただけに、驚く。著書を「禁書」とし、猛烈な反改革工作を展開した。「改革派三羽烏」と呼ばれた3人のうち自分を除く先輩2人は、東京西鉄道管理局と北海道総局へ転出する。誰もが「飛ばされた」と思う。