将来を見据えた「270キロ化」

91年10月、政府は新幹線保有機構を解体し、資産と債務を本州3社に継承させた。分割・民営化に際しては、東海道、山陽、東北、上越の新幹線の地上設備はすべて、保有機構に帰属させていた。機構は同額の債務も継承し、新幹線を30年の元利均等償還額で本州3社へリースし、3社が運行した。だが、機構はリース料を年間7100億円も受け取りながら、設備の維持や更新はやらず、3社に負担させた。普通の企業で設備投資をするときは、償却の範囲内で進めれば、新たな資金負担は生まれない。でも、本州3社の場合、設備を減価償却できないから、設備投資は借金で賄うしかない。

でも、正しいと思うことを曲げずにいれば、道は開ける。10年は無理だとされていた本州3社の株式上場が、バブル経済がピークを打ち、伸び悩む税収を補う策として、早々と政府内に浮上する。東京証券取引所は「リース」のままでは資産ではないから、上場は認めないと指摘した。政府は保有機構を解体し、資産と債務を3社に継承させた。

描いていた長期的なビジョンに手を打っていく道が開く。なかでも、東海道新幹線の速度向上は大きい。時速270キロが出る「300系」車両への投資に確信を得たのは87年12月。欧州の鉄道事情の視察へいき、リヨンからパリまでフランスの高速鉄道「TGV」に乗ってみたときだ。車両や構造物、電源設備などは、日本と変わらない。でも、東海道新幹線では220キロまでなのに、270キロも出していた。

同行していた技師に「日本ではカーブが多いとはいえ、なぜこんなに違うのか」と尋ねると、「270キロ車両なら、いつでもつくれる」と答えた。すぐに「270キロ化プロジェクト」を立ち上げる。省エネで静かな走行が売り物の「300系」が完成し、92年3月に東京-新大阪間でデビューした「のぞみ」に使われる。所要時間は約3時間から約2時間半に縮み、指定席料金も下げることができた。翌春には、東京-博多間でも運行する。技術力は「700系」に継承され、2003年10月の品川新駅開業に合わせた「全車両の270キロ化」へつながる。

バブル後の「失われた10年」とITバブルの崩壊で、日本経済の低迷が続くなか、乗客数は増えた。02年度までの16年間に、設備投資が増えた分は8000億円に達し、大半が「270キロ化」と品川新駅の建設に充てられた。航空機との競争が激化する時代を予測しての「為千秋計」による投資決断だった。

いまのような混迷期や変革期に求められるリーダーとは、現実から目を逸らさず、問題の本質を直視し、いかなる困難にも抜本的な解決策を立て、実行する人物だ。それには、大局観と長期展望が不可欠だ。

安倍晋三首相と親交があることで知られ、5月16日には夕食をともにしながら、意見を交換した。首相には、経済でも外交でも、大きな成果を上げてほしい。もちろん、政治と経営では、とるべき手法が大きく違う。経営で大事なのは、先制攻撃だ。誰もが「そうだ」と思う前に手を打つ人間だけが勝つ。だが、政治で肝要なのは、合意形成だ。あまり先んじた提案をしては、いけない。ていねいに、機を熟すのを待つ心が欠かせない。でも、「為千秋計」の重要さは、どちらも同じだ。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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