2008年度の決算において、三大メガバンク中、唯一黒字を確保する見込みの高い同社。堅調な本業収益の裏には、大胆な組織改革があった――。

奥頭取を奮い立たせた腹心・宿澤専務の死

<strong>三井住友銀行頭取 三井住友FG会長 奥 正之</strong>●1944年、京都府生まれ。京都大学法学部卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)入行。シカゴ支店長、国際業務部長などを経て、2001年、三井住友銀行専務。03年、副頭取。05年より現職。みずほFGが大企業と中小企業で銀行を2つに分ける事業モデルを採っていたのに対し、奥氏は、「ワンバンク」体制を強化した。
三井住友銀行頭取 三井住友FG会長 奥 正之●1944年、京都府生まれ。京都大学法学部卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)入行。シカゴ支店長、国際業務部長などを経て、2001年、三井住友銀行専務。03年、副頭取。05年より現職。みずほFGが大企業と中小企業で銀行を2つに分ける事業モデルを採っていたのに対し、奥氏は、「ワンバンク」体制を強化した。

そのとき、奥正之は深い落胆の淵にあった。頭取就任からちょうど1年が経過した2006年6月のことである。

金利スワップ販売などに関する独禁法違反という勧告処分と、それに伴う金融庁による行政処分という銀行の信用を大きく毀損させる事件の後始末、そしてその起死回生策の断行……。そんなキリキリと胃が痛むような真剣勝負の最前線に送り出したのは、ラグビー日本代表監督も務めた宿澤広朗専務だった。