2008年度の決算において、三大メガバンク中、唯一黒字を確保する見込みの高い同社。堅調な本業収益の裏には、大胆な組織改革があった――。
奥頭取を奮い立たせた腹心・宿澤専務の死
そのとき、奥正之は深い落胆の淵にあった。頭取就任からちょうど1年が経過した2006年6月のことである。
金利スワップ販売などに関する独禁法違反という勧告処分と、それに伴う金融庁による行政処分という銀行の信用を大きく毀損させる事件の後始末、そしてその起死回生策の断行……。そんなキリキリと胃が痛むような真剣勝負の最前線に送り出したのは、ラグビー日本代表監督も務めた宿澤広朗専務だった。
ところが、全幅の信頼を置く、この部下が55歳という若さで急逝。ほんの数日前、奥が宿澤にその指揮を任せた新設部門、コーポレート・アドバイザリー(CA)本部の基本戦略について、2人は熱っぽい議論を戦わせたばかりだった。
「『宿澤広朗という楕円球』は、今、着地の瞬間に大きく不規則バウンドして消えてしまい、そこで、ノーサイドの笛が吹かれてしまいました。この天が吹いた残酷なホイッスルについて、私は語る言葉を持ち合わせません」
弔辞を読み上げる奥の声はこみ上げる涙で震え、言葉は途絶した。
以後、宿澤について公の場では多くを語らなくなった奥がこう口を開いた。それから2年半以上の歳月が流れていた。
「コーポレート・アドバイザリー本部の創設構想を彼に話すや、『私にやらせてください』という言葉が返ってきた。まさに阿吽の呼吸。が、その激務の果てに命を縮めたとすれば、じつに不幸なことだった……」