「頭がいい」とはどういうことか。経営共創基盤グループ会長の冨山和彦さんは「東大卒の9割は一律的な受験システムの中で頑張って勝ち上がっただけで本当に頭がいいわけではない。個人にとっては『大学を出た後に誰と付き合うか』が一番大事になる」という。成毛眞さんとの共著『2025年日本経済再生戦略』(SBクリエイティブ)より一部をお届けする――。(第5回)
なぜ「東大卒」の価値は下がる一方なのか
学歴それ自体にはもう価値がない。日本最高峰とされる東大の価値も、下がる一方である。
その限界を一番わかっているのは、物知りを売りにした「東大王(※1)タレント」を指向するタイプの東大生ではないだろうか。
実は、昔から東大生の9割は本当に頭がいいわけではなく、せいぜいクイズ王になれるくらいの才能しかもち合わせていないのだ。そういう東大生を責めているわけでも、蔑むわけでもない。
たとえばゴルフやテニスでも、世界のトッププロとして活躍できるのは、ほんの一握りだ。それと同じだと考えれば、無理もないのである。
人の才能はそれぞれなのだから、自分の適性に合ったところに行けばいい。「東大王」向きの東大生は、「クイズ王タレント業」で食っていくという生き延び方もあるのだ。
そもそもの問題は、言うまでもなく、昭和から続く一律的な学校教育だ。「東大生の9割」も、一律的な受験システムのなかでがんばって勝ち上がったにすぎない。
その昭和の教育は、明治時代から地続きになっている。明治期の日本は、すでに確立していた西洋の学問や技術を直輸入して「みんなで」身につけることに邁進した。
「追いつけ追い越せ」の精神で欧米列強に肩を並べようとした。そういう国家的展望のもとでは、一律的な教育でよかったのだ。