本当の意味で頭がいい1割の東大卒
その点、日本では、知識のある「物知り」がとかくもてはやされる。先述のとおり、長らく知識詰め込み型の教育が行なわれてきたからだ。
一方で、本当の意味で頭がいい1割の東大卒もいる。受験勉強などがんばらずとも普通に東大に合格し、「だから何?」というタイプである。学歴をひけらかさないし、学歴で勝負することもない。
ショパンコンクール2021で第3次予選、セミファイナルまで進出した角野隼斗さんなんかは、このタイプだろう。
彼は開成高校時代からユーチューバーミュージシャン「かてぃん」として活躍し、リアルでも活発な音楽活動を展開する一方で、東大理系の花形である計数工学から情報理工の院へと進み、機械学習の音楽分野への応用研究で東大総長賞を取って修士課程を修了している。
昔からこのレベルの天才はいくらでもいたが、かつては世の中的にこのタイプはあまり受けがよくなく、昭和なカイシャ社会主義の時代には、その天才をフルに生かす場所に恵まれないことが多かった。
しかし時代は変わった。大学だって、単に受験学力が高い学生ではなく、そういう地頭のいい学生に来てほしいだろう。特にグローバル空間で知の最先端を競わなければならない立ち位置にいる東大などは、圧倒的にそう考える。
だから近年では東大も心得たもので、入試問題が自分の頭で考えなくては解けないものにどんどん進化している。
数学は公式丸暗記では通用しない設問が多いし、現代文や世界史、日本史にも、1つのテーマについて自分の見解を述べさせる論述問題がたくさん入るようになった。
昭和型の学校教育の一刻も早い終焉を
加えて、数学オリンピック金メダル級の高校生にはペーパーテスト免除の推薦合格枠も設けられている。
少子化が加速するなか、受験戦争そのものはゆるくなってきている。少子化には別枠で社会的に取り組む必要があるが、教育に限っていえば、受験生が減ることで無用な過当競争がなくなっているのは、いい傾向といえる。
伝統的な学歴が無効化すると、否が応でも地頭勝負の競争が重要になる。そしてグローバルな先端的テクノロジー競争やグローバルなビジネス競争では、「卓越した才能×卓越した意志力×卓越した努力」が競い合う、非常に厳しい世界が展開されている。
日本の目下の問題の1つは、そういう厳しいグローバルクラスで戦える才能も意志もある若者の学びの場が、やや貧困なことだ。逆に合格歴がホワイトカラーサラリーマン向きではなく、むしろ現場現業向きの人たちの学びの場も少ない。
学びの場が多様な適性を前提としていないのだ。そのために、子どもたちが自分の適性を探索しにくいことも大きな問題である。
受験戦争の緩和に伴って昭和型の学校教育が早く終焉し、こうした問題点が解消されていくことを願う。
新しい学校モデルが多様な才能の芽を育み、多様な才能の探索の場となることにより、地頭勝負の世界でグローバルに活躍できる人材はもちろん、本書で述べているエッセンシャルワーカーである人材も含めて、いろいろな才能がそれぞれに活躍の場を見出して光り輝く未来を期待するばかりだ。