担当すれば「医薬だけはつぶしたくない」となる。だが、薬はつくっても販売部門を持たず、他社に売ってもらう仕組みで成り立っていくのか。累積赤字を、どうやれば消せるのか。考えたら、トンネルから抜け出すのは難しい。それでも、何とかしてやると思う。「撤退」とか「敗北」という言葉が、嫌いだった。
生き残るためには、やはり、大きく成長する新薬が必要だ。薬の種を持つ米ベンチャー企業と西海岸に合弁会社をつくり、ボストンには新薬承認に必要な臨床開発会社も設立した。国内の研究開発部隊には自立と収益責任の自覚を求め、研究所を分社化する。みんな、サントリーの籍を離れるから、将来を不安に思うのは当然だ。でも、1人も、離脱者を出したくない。1人ひとりと、じっくり、話し合う。危機感を共有していくうちに、みんなの心のベクトルが、1つに結集されていく。40代の終わりが、近づいていた。
だが、手を尽くしても、赤字が続く。ついに、経営陣は事業売却へ踏み出す。ある外資系企業が有力となった。でも、100人から150人もの人員削減が先方の条件だと聞いて、抵抗する。心を1つにして立て直しに取り組んできた仲間を、見捨てることはできない。全員を引き取ってくれる売却先を探すと言って、時間をもらう。自社のある製品を売っていた第一製薬が、頭にあった。
社長の許可を得て、交渉に臨む。第一の社長は、全員を引き取るだけでなく、自社の社員と同じ条件で処遇することまで約束してくれた。第一が3分の2、サントリーが3分の1出資した第一サントリーファーマが設立され、その社長に就く。その後、予定通り、第一の100%子会社となる。経理などの面々はサントリーへ戻ったが、約300人の研究開発部隊は、そっくり籍を移す。
その数カ月前、医薬事業の立て直しでたいへん世話になった先輩に、呼ばれた。「300人は移籍が決まったが、きみはどうする。一緒にいくか、サントリーに戻るか?」と尋ねられた。第一は技術系の人間だけがほしいのであり、自分は邪魔だろう、と考えた。でも、仲間たちの行く末を見届けるのが自分の責務だ、と決める。いま、第一サントリーファーマはアスビオファーマに衣替えし、新薬開発に思う存分取り組んでいる。振り返れば、300人の仲間と一緒に動き、1つの心になれて、ほんとうによかったと思う。
「用兵攻戦之本、在乎壱民」(用兵攻戦の本は、民を壱にするに在り)――戦うときの基本は、民の心を1つにまとめることだ、との意味だ。中国の古典『荀子』にある言葉で、いくら武器や兵糧を整えても、民の心がばらばらであったら、戦いに勝つことはできない、と説く。難題を克服していくとき、常に部下たち、社員たちの心を1つにして臨もうとする中山流は、この教えと重なる。