志を立てやり通す 社長が示す進む道
「えっ、そうだったのか」
1996年、コンサルタント会社からの報告を読み、目から鱗が落ちる気がした。会社の中核をなす開発部隊が、実際に開発作業に取り組んでいるのは就業時間の4分の1か5分の1だけで、あとは会議や報告、電話での応対など様々な「雑用」に追われている、と指摘していた。
4年前に社長に就任し、改革を重ねてきたのに、3年間も減収減益が続いた。最高顧問になっていた父の雅夫さんに「これでは、やっぱり問題かな」と尋ねたら、「自分の信念でやっていれば、必ず成果は出る」と言ってくれた。だが、どこに問題があるのかがつかめないと、トンネルから抜け出せない。
翌97年、「ブラックジャックプロジェクト」をスタートさせる。堀場式の生産性向上活動で、開発部門で会議を激減させ、電話応対は当番の1人に任せ、少なくとも午前中は開発作業に専念させた。結果、各自が開発作業にあてる時間は倍増し、業績も上昇へ転じた。
それまで「会社は経営者がある程度動かすが、あとは現場の裁量に任せよう」と考え、それを現場主義としてきた。でも、やはり経営者が現場に入り込まないといけない、と痛感する。40代最後の年だった。
プロジェクト名は、トランプゲームの「ブラックジャック」にちなんでいる。ゲームは、2枚以上のカードの数を合わせて21に近いほうが勝つ。「21世紀に最強の企業になる」との思いを、命名に込めた。
その後、プロジェクトを各職場へ広げ、いまでは世界中に600のチームができて、海外拠点も参加する「ワールドカップ」をやっている。意識改革も進んだ。堀場は「他社にはない技術」を開発し、規模は大きくなくても世界の市場を席巻する製品を狙う。そんなヒット製品が稼いでくれれば、他部門は安泰。どうしても「つつがなくやっていれば」となって、気持ちが緩む。そこから、競争力がある製品は生まれない。一方で、義務感に縛られている気分に覆われていた。そんな社是の「おもしろおかしく」とは縁遠い状況が、プロジェクトの浸透で一変する。