実は、ビジョンは「佐治敬三になったつもり」で書き上げた。社内には、優秀な人がたくさんいる。そういう人たちを論破できるとしたら、何かあればいいかと考えたら、「サントリーは同族会社。普通の社員は社長にはならないし、長く社長をしてきた佐治さんが断トツの存在だから、社長になった気でものを考えている人はいない」と思う。いかにすれば、憧れの佐治さんのように考えることができるか。子どもがウルトラマンになったつもりで遊んでいるように、自然な気持ちになれた。

新入社員のころ、大阪支店で輸入したウイスキーやワイン、果実酒の営業をした。ホテルなど大きな販売先は別の課が扱っていて、自分たちは比較的小口の領域を受け持った。職場は開放的で、「仕事は自分でつくっていこうや」との気風に、あふれていた。売り上げ目標は厳しかったが、この時代に、自分で「何をやるか」を考えて、自らに「何をしたいのか」「なぜやるのか」と問いかけてすごす。

いま、それを「Will」という言葉に置き換えて、若い社員たちに語りかける。自らの意思と向かい合えば、答えは、必ずみいだせる。そう、教え続けている。

ビジョンを書いたときも、社内では少数派だったが、「何をしたいのか」「なぜしたいのか」を考え抜いて、答えを出した。「脱・ウイスキー」は、決して敗北宣言ではない。あくまで次へのステップだ。自分の「Will」はそうだった。

「不昧己心、不盡人情、不竭物力」(己の心を昧まさず、人の情を盡くさず、物の力を竭くさず)――自分の心を偽らず、他人の情をいつまでもむさぼらず、物は役に立たなくなるまで酷使するなといった意味で、余力をもって臨むように説く。中国・明の洪自誠の書『菜根譚』にある言葉で、良心の命ずるままに生きる大切さ、人の情もほどほどで辞退する思慮深さ、何物もすり切れて使えなくなるまでにはしない注意深さを求めている。自らの思いに正直に生き、ゆとりを忘れない中山流は、この教えに重なる。