パンフレットに書かれていた“真意”
しかし、興味深かったのは、購入したプログラムを帰宅してから読んだ時のこと。そこには、ライプツィヒ大学の音楽社会学の研究者、ヴォルフガング・フーマン教授の短い寄稿があり、このカルメンの公演において、オペラ座の舞台の上方に表示される対訳に、「ジプシー」という言葉をそのまま使っている理由が記されていた。
この言葉はもちろん、「ジプシー」の迫害の歴史、特にナチ政権下の収容所での2万1000人にも上るジプシーの殺害などと深く結びついており、カルメンが歌うように「恋はジプシーの子」、「私が惚れたら御用心」などという明るいものではない。ただ、言葉を変えただけで、歴史が修正できるというのは偽善であるというのが、フーマン氏の論考の趣旨だ。
白人の優越感と差別意識の裏返しである
さらに、ここに添付されていた、2009年のノーベル文学賞の受賞者であるヘルタ・ミュラー氏の言葉が印象的だった。ミュラー氏はルーマニア系のドイツ人で、ソ連占領時代のルーマニアにおける少数民族の迫害などについての作品があり、当然、チャウシェスク政権下では反政府作家として抑圧されていた。同政権崩壊の2年前にドイツに移住し、今はベルリン在住。ちなみに、ルーマニアは、今でもロマ、シンティが非常に多く住む地域だ。
そのミュラー氏の言葉の引用部分は下記だ。
「私は“ロマ”という言葉を携えてルーマニアに行き、当初、対話の中でそれを使用していたが、それが故に、あらゆるところで壁に突き当たった。『われわれはジプシーであり、皆がわれわれを正当に扱うなら、この言葉は良いものだ』」
私はかねてより、キャンセルカルチャーとは白人による優越感や差別意識の裏返しであると思っていたが、それをインディアンとジプシーが完膚なきまでに証明してくれたように感じている。言葉は差別を隠すだけで、決して無くすわけではないのだ。