ついにネイティブ・アメリカンが声を上げた
自民党のウォルフガング・クビキ議員は、フンボルト・フォーラムが国とベルリン市から潤沢な資金を受けていることを挙げ、本来なら芸術の表現の自由を擁護しなければならないはずのロート文化特別相の責任を問うている。
東独出身の歴史家フーバートス・クナーベ氏は、ベルリンのホーエンシェーンハウゼン記念館(東独時代に悪名高き政治犯収容所だった施設が、ドイツの統一後、記念館になった)の館長でもあった人だが、その彼も、「フンボルト・フォーラムはますます左翼急進派グループに発展している」とし、「フンボルト・フォーラムを運営している人間はこの役職から去る時が来た」と発言。
さて、話を『パンコー行きの特別列車』に戻すと、「オーバーインディアーナ」を適当な他の言葉で置き換えることだけはうまくいかず、「オーバーイーイーイー」にするというから、ますますバカげている。
ところがそんな折、ついに肝心の「ネイティブ・アメリカン」の会であるNative American Association of Germany e.V.が、「インディアンという言葉をキャンセルするのはやめてほしい」と声をあげた。
この現状は「まさに植民地時代と同じやり方」
deutschlandfunkによると、「インディアン」の子孫の言い分は、「インディアンという言葉を人種差別的とされると、われわれは罵倒された気分になる」、「そもそもこの言葉は多くのインディアンによって使われており、これを禁止するのは、アイデンティティの喪失である」というもの。しかも、「インディアンという言葉を人種差別的と決めつけ、われわれの頭の上を素通りして禁止するというのは、われわれの意向を無視しているという点で、まさに、植民地時代と同じやり方だ」
この厳しい批判により、フンボルト・フォーラムの主張は完全に空回り。なお、リンデンベルク自身が、一貫して何も発言しなかったのは、最初から、この論争をバカバカしいと思っていたからに違いない。
ただ、このキャンセルカルチャーは、すでに思いのほか、人々の心に染み込んでおり、前々より反発している私でさえ、それに影響されていると思うことがある。
たとえば、先日、ライプツィヒの歌劇場で『カルメン』を見たのだが、歌詞の中に、今は使えなくなっている「ジプシー」という言葉が頻繁に出てくる。しかも、舞台上のジプシー集団は、当たり前のように家業の密輸を営んでいる。こうなると、オペラを鑑賞しながら、「大丈夫かな?」「苦情が出ないかな?」などという邪念に襲われてしまうのだ。ちなみに現在は、「ジプシー(ドイツ語ではZigeuner/ツィゴイナー)」の代わりに、「ロマ」と「シンティ」という名称が使われている。