最初の取材記事はほぼ丸写しで提出した
広野は新聞社の社員として高い評価を受けていたというエピソードだが、選手時代、何度もトレードを経験している広野としては、複雑な心境だったろう。
結果的に整理部長が折れた。広野は校閲係を半年務め、1年目の秋に報道部へ異動したのである。元プロ野球選手としての人脈や観察眼を発揮しようと、広野はおおいに意気込んだという。
「ところが、最初はアマチュアスポーツの担当。中日新聞が毎年開催していた野球教室の取材に行けという指示でした。そんなもの、どんな記事にしたらいいのかわからないとデスクに尋ねたら、『去年もその教室の記事を載せているから、参考にすればいい』と言う。だから現場に行って写真を撮って、選手名だけ変えて、去年の記事をほぼ丸写しで提出したんですよ」
広野の10行ほどの原稿を受け取ったデスクは、読み終わると深い溜め息をついた。「広野、日にちくらいは変えてくれよ」と、目も合わせずにすっかり呆れた様子だったという。
この初仕事に限らず、駆け出し記者時代の広野はポンコツというほかない。12月の全国高校駅伝に際しては、京都まで足を運んだが門外漢の競技の記事に一向に筆が進まなかった。広野の遅筆に痺れを切らしたデスクは「共同通信の提供記事を使うから、もういいよ」とさじを投げたのだった。
青木功さんに「単独インタビュー」を敢行
だが、報道部での評価が暴落していた頃に、またしても広野は“逆転満塁本塁打”を放つ。
「春先に行われるゴルフの中日クラウンズの取材に行ったら、青木功さんが出場してました。同じ『功』ということで巨人時代から懇意にしていただいてたんです」
青木は、広野の顔を見るなり「お前、こんなところで、なにしとんじゃ⁉」と驚いた。記者広野にとって、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「野球を辞めて、いまは中日スポーツの記者をやっとるんです。ところで、青木さんなんかおもしろい話くださいよ。雑感になるような、ちょっとしたことでもいいので」
「おう、それならあるぞ。俺な、今日ニュークラブで打つんだ」
「使ってない新しいクラブで打つなんて大丈夫ですか?」
「お前、こっちはプロだぞ。大丈夫、大丈夫」