初心者記者の校閲は「穴」だらけ

「中日スポーツに最初に配属された先は、整理部の校閲係ですよ。印刷にかける前の記事を読んで間違いがないか、確認するのが仕事です。漢字の使い方や送り仮名などの統一表記ルールを定めた記者ハンドブックというのがあって、それとにらめっこしながら、赤ペンでチェックしていくんです」

百戦錬磨の現場記者といえども、書いた文章には当然ミスもある。しかも当時は金属型の活字を職人が拾って記事を組んでおり、カギカッコや句読点の位置がひっくり返っていることも多々あった。

「僕の隣の机には、中日新聞の生き字引と呼ばれる浅沼耕さんというベテランがいました。僕は10行の原稿だと2つくらい赤字を入れるのが精一杯だけど、同じ原稿を浅沼さんが見ると、チェックだらけで真っ赤なんですよ」

選手時代は守備に定評のあった広野だが、その校閲はトンネルだらけだった。当然、校閲部の中でも「こいつ、大丈夫か?」の痛い視線が突き刺さるようになる。

元野球選手だからこそ見つけた写真のミス

前年まで、朝から晩まで野球漬けだった広野には、たしかに酷な仕事だったかもしれない。しかし、ここでも広野は逆転サヨナラ満塁本塁打ばりの一打を放つことになる。

「ある日、阪神の試合を報じる記事の完成直前の試し刷りである、大刷りを最終チェックしていたら、左打ちのバッターが右で、左右反転で載っている。『浅沼さん! これ写真が裏焼きです!』と僕が言ったら、浅沼さんは血相を変えて『輪転機止めろ!』と大騒ぎ。間一髪間に合いました。

それで『元プロ野球選手のお前じゃなかったらわからなかった。新聞社が大恥をかくところだった』と部長賞をもらったんですよ」

浅沼のような校閲のプロたちが二重三重に目を光らせているのは、あくまでも文字。写真についてはチェックが甘くなったのかもしれない。そこを広野がカバーしたのである。この件以来、広野は整理部の立派な戦力として認知されていった。

「なにしろ、整理部長と報道部長が、フロアに響き渡るような大声で、怒鳴り合いの喧嘩をしておるんですよ。なんだなんだと聞き耳を立てると、どうやら僕をどっちの部で使うかという話なんです。

報道部長としては、僕の元プロ野球選手のキャリアを生かして、記者として現場に出したい。でも、整理部長としては僕を手放したくないと言っているんです」