愛すべき「物わかりの悪さ」
最終回を見て改めて思うのは、「久米宏を忘れるな」ということである。
思うに久米宏を久米宏たらしめているのは、その愛すべき「物わかりの悪さ」だ。
時の政府や政治家などに対してもそうだったが、和気藹々であって然るべき長寿番組の最後に自分だけ堂々とビールを飲み、あえて波風を立てるその姿からは、誰とも群れない一徹さが感じられる。まさに反骨精神の塊である。
ただそこには、ユーモアがあった。そんな偏屈な自分を十分わかったうえで自ら突き放して見ているようなユーモアがあった。最終回の“3人の久米宏”からもそれが見て取れるし、その点1人ビールは久米宏の番組の最後にふさわしくもあった。
いま見渡しても、そんな愛すべき「物わかりの悪さ」を発揮しているキャスターは見当たらないように思う。もし現在の報道番組が物足りないと感じるのであれば、私たちは久米宏というニュースキャスター、いやテレビ司会者のことを折にふれて思い出す必要があるに違いない。