愛すべき「物わかりの悪さ」

最終回を見て改めて思うのは、「久米宏を忘れるな」ということである。

思うに久米宏を久米宏たらしめているのは、その愛すべき「物わかりの悪さ」だ。

時の政府や政治家などに対してもそうだったが、和気藹々わきあいあいであって然るべき長寿番組の最後に自分だけ堂々とビールを飲み、あえて波風を立てるその姿からは、誰とも群れない一徹さが感じられる。まさに反骨精神の塊である。

ただそこには、ユーモアがあった。そんな偏屈な自分を十分わかったうえで自ら突き放して見ているようなユーモアがあった。最終回の“3人の久米宏”からもそれが見て取れるし、その点1人ビールは久米宏の番組の最後にふさわしくもあった。

いま見渡しても、そんな愛すべき「物わかりの悪さ」を発揮しているキャスターは見当たらないように思う。もし現在の報道番組が物足りないと感じるのであれば、私たちは久米宏というニュースキャスター、いやテレビ司会者のことを折にふれて思い出す必要があるに違いない。

関連記事
だから「感動の押し売り」と批判されてしまう…46年前の第1回「24時間テレビ」にあって現在の放送にないもの
「お母さん、ヒグマが私を食べている!」と電話で実況…人を襲わない熊が19歳女性をむさぼり食った恐ろしい理由
中2で「初めてのセックスはどんな状況か」を考えさせる…日本と全然違うカナダの性教育
これを食べれば「錆びない体」ができる…医師・和田秀樹が「生」で摂取すると効果的と説く"野菜の名前"
年収350万円、体重100kg、趣味は「酒、麻雀、バイク、風俗」…52歳男性に結婚相談所が伝えた「残酷なひと言」