こうして伝説の最終回は始まった

そして迎えた最終回。その日は、随所で番組の歴史を振り返る場面があった。

まずは、U2のテーマ音楽、そしてアークヒルズの桜並木の映像からスタート。その映像をバックに久米が「こんばんは。最後の『Nステ』です」と挨拶し、その桜並木が番組スタートと同じ1985年に植えられたものであることを説明する。

その日のニュースを伝え終わると、久米は「『Nステ』続けるなかで一番苦労したって言うか、辛かったことって言うのは、「いつ終わるかわからない、この番組は」ということでした」と切り出す。そして「過去の自分にこの番組が終わるということを伝えたい、とふと思いつきました」と続ける。

すると第1回の映像が流れ、そのなかに現在の久米宏が登場。開始当時の久米は40歳。そして現在は60歳間近。さらに気づくと50歳の久米宏も同じ映像のなかにいる。こうして合成技術を使い、“3人の久米宏”がひとつの画面のなかに出そろった。

絶妙に計算された3人のやり取りの後、現在の久米宏が40歳と50歳の自分にねぎらいの言葉をかける。「本当にお疲れ様」。そして1985年の阪神タイガース日本一に始まり、昭和天皇崩御、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、さらに2004年の自衛隊イラク派遣まで、それらを伝える久米の映像とともに振り返った。

「僕は民間放送を愛している」

そしてエンディングへ。渡辺真理の挨拶の後、久米による最後の挨拶が始まる。

久米は、民放という存在について持論を語り出す。

「民間放送はね、原則としてスポンサーがないと番組が成立しないんです。そういう意味じゃ、民間放送というのはかなり脆弱で、弱くて、危険なものなんですけど」としたうえで、「僕はこの民間放送が大好きと言うか、愛していると言ってもいいんです」「なぜかと言うと、日本の民放は、原則として戦後、すべて生まれました。日本の民放は、戦争を知りません。国民を、戦争に向かってミスリードしたことがありません。これからもそういうことがないことを祈っております」

その表情は、真剣ではあるが深刻なものではない。淡々と民放への愛、その理由を語る姿が印象的だ。

さらに久米の話はこう続く。直接番組を制作するスタッフだけでなく、民放の場合何千人といるスポンサーの社員も広い意味ではスタッフである。もっと言うなら、そのスポンサーの製品やサービスを買ってくれるもっと多くの人たちもスタッフと言えるかもしれない。

そしてここからが久米節の真骨頂。突然自分の小学校時代の通知表の話題に。

通信欄には「落ち着きがない。飽きっぽい。協調性がない」とずっと書かれていた。だが、と久米は、カメラ目線で当時の先生たちに向かって「18年やりましたよ」と語りかけ、「本当に偉いと思うんだよ、僕は」と言い出す。渡辺真理がそのあたりで話を収めようとするが、久米はそれを振り切って席から立ち上がる。そして冒頭の1人ビールの場面になっていくわけである。

グラスに注ぐ瓶ビール
写真=iStock.com/ryasick
※写真はイメージです