2人しかいない町奉行は3億円超稼いだ

旗本は役職に応じて、役料を得たが、そのすべてが役職に就けたわけではない。全旗本のうち半数にも及ぶ2300家は無役だった。こうした無役の旗本であっても、江戸城の石垣や屋根の修復といった普請(工事)には人夫を派遣する役目があった。無役のため役料は入らず、ただ出費だけがかさむ。旗本の半数が経済的に逼迫していたと言える。

磯田道史監修『新版 江戸の家計簿』(宝島社)

そうした旗本の役職のなかでも江戸の町奉行は、南町奉行と北町奉行に1人ずつと、わずか定員2名。実務能力が高い旗本が選ばれた。俸禄も高く、約1050石、現在の価格にすれば、年収3億1500万円にものぼる。

むろん、家来の世話など出費もかさむためすべてが収入となったわけではない。しかも町奉行は激務だったことで知られていた。江戸の行政・司法・治安維持・防災といった行政面だけでなく、経済・金融政策なども担う。そのため、在職期間は平均5、6年に過ぎなかったという。そのなかでも大岡忠相は20年間も奉行職を務めたというから、その優秀さが推して知れる。

江戸時代の警察「同心」は年収300万円

南北町奉行にはそれぞれ、与力25騎、同心120人が勤務していた。奉行を補佐し、財政や人事から市中の治安維持まで、職務は多岐にわたる。御家人身分で、禄高は150〜200石ほどが平均。現在の価格にすると年収4500万〜6000万円ほど。

幕臣内では下級の部類とされるが、このほかに諸大名からの付け届けなど副収入も多く、裕福な暮らしだったという。与力の下で実務を行った同心は、主に市中見廻りを担う、江戸時代の警察である。

私費で岡っ引き(目明かしともいう)を雇い、捜査活動に従事した。市中の風聞を調べる隠密廻り、定期的な巡回を行う定廻り、臨時の巡回にあたった臨時廻りの3つを総称した三廻りが主な任務だ。同心の家禄は30俵程度の小禄であったが、諸大名からの付け届けもあったという。

同心の収入は300万円、岡っ引きの収入はたったの7万5千円[出所=『新版 江戸の家計簿』(宝島社)]

付け届けとは、一種の賄賂のようなもの。参勤交代のため、大名は江戸屋敷に多くの家臣を置いた。彼らが江戸市中で騒ぎを起こした際、穏便に済ませるために特定の与力や同心に付け届けをしたのである。

また、御家人は幕府から組単位で屋敷を拝領した。与力、同心の場合、八丁堀に組屋敷があったことで知られる。与力は約250〜350坪、同心は100坪ほどの屋敷が与えられたが、学者や医師、絵師などに貸し付け、地代を取って収入にする者も多かったという。

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