江戸時代の夫婦はどんな関係性だったのか。歴史作家の河合敦さんは「男性が偉く、女性が虐げられていたというイメージがあるが、実はそうではない。原則として女性には離婚請求権がなかったが、夫に落ち度があれば離婚できたため、バツイチは当たり前だった」という――。
※本稿は、河合敦『逆転した日本史〜聖徳太子、坂本龍馬、鎖国が教科書から消える〜』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
離婚する権利は夫にしかなかったが…
江戸時代が男尊女卑の社会であることは間違いない。ただ、それはかなり建前的であって、実際はいわれているほど女性が虐げられていたわけではない。
たとえば、男女の離婚を例に話そう。
夫が気に入らなければ、妻に三行半(離縁状)を突きつけ、家から追い出す。そんなシーンが一昔前の時代劇にはよく見られた。
確かに離縁状は、夫から妻に対して一方的に渡すものであり、離婚する権利は夫にしか認められていなかった。
ちなみに離縁状を「三行半」と呼ぶのは、三行と半分で書くことが多かったからだ。
「其方事、我ら勝手につき、このたび離縁いたし候、しかる上は、向後何方へ縁付候とも、差しかまえこれ無く候、よって件のごとし」
「誰と再婚してもかまわない」という許可状
これが典型的な離縁状の文例である。
しかし、その文章をよく読めば「離婚するのは私の都合であり、離婚したからには、お前は今後、誰と再婚してもかまわない」という意味であることがわかる。
つまり、三行半は再婚許可状なのだ。これをきちんと妻に渡さないで、勝手に再婚した場合、その夫は「所払い」という刑罰に処せられるのである。
こうした事実は、最近の教科書にもちゃんと反映されている。
たとえば実教出版の『日本史B』(2017年)には「近世の結婚と離縁を調べる」と題して、主題学習の一例として江戸時代の離婚について詳しく記されている。