※本稿は、河合敦『逆転した日本史〜聖徳太子、坂本龍馬、鎖国が教科書から消える〜』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
「ハラキリ」は武士の自殺手段として一般化
「何かあれば、そのときは俺が腹を切る」というセリフは、映画やドラマでよく耳にする。責任を取ってやめるという意味だが、昔は本当に腹を切った。とくに江戸時代の武士は、自分に落ち度があった場合、割腹して己の命であがなうケースが少なくなかった。
そんなことから、切腹は日本人特有のものだと考えられ、外国人にも「ハラキリ」という語が知れ渡っている。
記録に残る最初の切腹は、988年のことといわれている。盗賊の藤原保輔が捕まるさい、刀で腹を割いて腸を引きずり出して自殺をはかった。保輔は翌日、その傷がもとで死んでいる。
やがて武士が登場すると、合戦に敗れたさいの自殺手段として一般化する。
不運にも戦いに敗れ、窮地に追い込まれたとき、敵に殺されるのを待つのではなく、みずから切腹して死を選ぶようになった。
己の勇敢さを見せつける一世一代の大舞台
ただ、刀で腹を割いても、死ぬまで相当な時間がかかる。腹部を切開しても太い血管が通っていないため、切腹だけではすぐに失血死はしないのだ。死ぬだけなら首を吊ったほうがすぐに逝けるし、刃物を用いる場合、喉や心臓を刺したり、首の動脈を切れば短時間で死が訪れる。
にもかかわらず、切腹を選ぶのにはわけがある。
切腹は、腹を大きく一文字か十文字に切るのが一般的だった。己の意志で刃を左脇腹に深々と突き立て、それを確実に横に引いていったあと、十文字切りの場合は、さらに刃をいったん引き抜いてから、みぞおちに突き刺し、それを上から押し下げていく。
当然、激しい痛みが襲うとともに、切腹をやり遂げるにはすさまじい意志の力が必要だ。気の弱い人間ならショックで失神する。つまり切腹は、やむなく合戦で敗れたものの、その最後の場面において、どれだけ己が勇敢であるかを敵に見せつける一世一代の大舞台だったのである。
だから、腹を切ったあと、相手をさんざんののしり、己の腸を腹部から引き出し、内臓を相手に投げつけるという行為が中世の武士にはよく見られた。