江戸時代、人口100万人を超えた大都市・江戸。風呂場のない狭い長屋に暮らす町人たちは、毎日湯屋に通うほどの風呂好きだったという。歴史学者・磯田道史さん監修の『新版 江戸の家計簿』(宝島社)より、一部を紹介する――。
伊勢参宮 宮川の渡し
伊勢参宮 宮川の渡し(写真=歌川広重画/三重大学附属図書館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

1K、9平米の家賃は月4875円だった

徳川家康は江戸の町を、城を中心に武家地、寺社地、町人地の3つに分けた。城の周囲にはそれを守る武士を住まわせ、この武家地を取り囲むように寺や神社を配置した。

町人地は今の中央区、台東区、千代田区の一部だった。京間60間(約120m)四方の町割がされ、町割の通りに面した町屋(長屋)を表店、裏に並んだ町屋を裏店と呼んだ。表通りには大店や一戸建ての商家が軒を連ね、路地を入ったところには裏店があった。

多くが棟割長屋で、最小のものが、間口が9尺(約2.7m)、奥行きが2間(約3.6m)、面積約9.72m2の、いわゆる「九尺二間の棟割長屋」である。路地に面した3尺(約90㎝)幅の腰高障子が入り口で、入ると土間があり、水がめや流し、かまどがある。奥には4畳余りの居間兼寝室という1K。家賃は現代感覚で算出すると、ひと月わずか4875円ほど。

【図表1】江戸の家賃と光熱費
長屋の家賃は9畳で4875円。蝋燭は約10万5000円もかかった[出所=『新版 江戸の家計簿』(宝島社)]

また、当時の照明はというと、行灯か蠟燭、暖や熱は主に炭を使った。明和9(1772)年の炭の平均価格は1俵で銀4.1匁、すなわち現代価格で約4300円。蠟燭はピンからキリまであるが、高級な会津蠟は4.7貫目で約10万5000円にもなった。

長屋を管理する大家さんは親同然

路地の奥には共同の井戸、便所、ごみ溜めがあった。

長屋を管理するのは、地主や家持(家主)の代理人、大家だった。落語にもよく登場する大家は、家賃の取り立て、長屋の維持管理のほか、店子の身元引き受け人、旅行の際の手形申請、仲人、また、もめ事の仲裁、さまざまな相談役まで引き受け、まさに親同然だった。

大家の基本給は入居時の礼金や家賃の3〜5%、そして共同便所の糞尿の売買代金だったという。