昭和のイメージ

ところが薬が効きすぎたのか、今度は眠りすぎるようになってしまう。ケアマネジャーから施設に入れることを勧められたが、父親は「まだ頑張れる」と言って拒んだ。

「そこは頑張るところじゃないでしょうに……と何度思ったかしれません。父が頑張るから私の負担もひどいものになっていました。母の介護疲れで父は午前中は立ちあがることができないほどになっていたため、私が母の面倒と、母の汚した布団、パジャマなどの洗濯を、キツイ匂いでオエオエ言いながらやっていたのですから……」

父親は、「病気でこんなことになっているだけなんだから。かわいそうに……」と言って、まだ時々暴力的になる母親の攻撃や口撃を受け続けていた。ケアマネやデイサービスのスタッフたちも、「よく耐えていらっしゃいますよね。普通だったら怒って施設に入れちゃいますよ」と言って感心していた。

「父の老人ホームのイメージは、半分病院みたいで、姥捨て山的な、昭和のままだったのです。狭い個室に入れられて、何の自由も与えられず、『あんなところにいたら余計に病んでしまう』ぐらいに思っていたのです。『そんなところじゃないよ』と言い聞かせていましたが、見ていないうちは自分のイメージしか信じていませんでした」

父親の救急搬送

2023年2月。「右目が見えていないことに気付いたから、救急車を呼びたい。母さんをどうしよう?」。南田さんは父親からの突然の連絡を受け、実家へ急いだ。

その日、父親は「なんだか視界がぼやけて見えるな」と、思い、片目ずつ手で隠して見たら、右が真っ暗で見えていないことに気付く。そこでかかりつけの眼科医に電話すると、

「眼だけでなく、脳の可能性もあるので救急車を要請してください」

と助言される。次に救急の医療相談に問い合わせると、やはり「救急で診てもらうべき」と言われたらしい。

南田さんが駆けつけた時、まだ救急車は家の前に止まっており、母親は家の中だと言うので急いで向かう。すると驚いたことに、母親は友だちと固定電話で談笑中。携帯電話は少し前に操作の仕方がわからなくなっていた。

南田さんが呆れていると、救急隊員に「搬送先が決まりました」と告げられる。父親に「後から母さんを連れて向かうから」と伝えると、救急車は出発した。

南田さんは母親を車に乗せ、父親がどんな状態なのか、どこへ向かうのかを説明すると、どうやら何か大変なことになったということはわかっている様子の母親。「お父さん、死んじゃったの?」と聞いてくる。

病院に着くと、一刻も早く処置室に向かいたい南田さんに反して、母親はフラフラした足取りで遅く、思わずイラついてしまう。母親はもう、父親が救急搬送されたことも、何のために病院へ来たのかも忘れてしまっていた。

父親は、「右目の網膜動脈分枝閉塞症」と診断された。網膜動脈の枝の血管が閉塞して、視野が半分になってしまったという。医師からの説明の間も母親は、「死んじゃったの?」と何度も聞いてきた。

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