織田信長が戦国武将の細川藤孝(幽斎)に宛てた手紙が新発見の資料として発表され、10月5日から東京・永青文庫でその実物が展示される。系図研究者の菊地浩之さんは「幽斎こと藤孝は時流を読む力があった“遊泳術”の人。足利将軍、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と天下人が替わっても、常に勝者側につき、現在の細川家まで続く繁栄の礎を築いた」という――。
「細川幽斎像(模本)」石本秋園模作、明治38年(1905)以前、原本は慶長17年(1612)、東京国立博物館所蔵(出典=ColBase)を加工
「細川幽斎像(模本)」石本秋園模作、明治38年(1905)以前、原本は慶長17年(1612)、東京国立博物館所蔵(出典=ColBase)を加工
細川藤孝(幽斎)のサバイバル人生・3つのターニングポイント

「室町幕府滅亡」足利義昭→織田信長
室町時代以来の足利家重臣ながら将軍を裏切り信長につく

「本能寺の変」織田信長→豊臣秀吉
信長を討った明智光秀とは縁戚だが、光秀に味方せず秀吉に認められる

「関ヶ原の合戦」豊臣秀吉→徳川家康
嫡男が石田三成と対立。関ヶ原前夜、城を三成の大軍に囲まれる

話題の「SHOGUN」で戸田広松のモデルとなった細川幽斎

織田信長(1534~1582)が発給した未知の古文書が発見されたという報道があった。細川幽斎ゆうさい(1534~1610)に宛てた古文書で、細川家の文化財を保存する永青文庫えいせいぶんこに保存されていた。細川家とは、肥後熊本藩54万石の大名で、直系の子孫・細川護煕もりひろは第79代内閣総理大臣である。その先祖・細川幽斎は足利家から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと、常に「勝ち組」につく、バツグンの目利きの持ち主だった。

この9月、アメリカのテレビ界最高峰のエミー賞を制した真田広之主演の時代劇「SHOGUN 将軍」。主演女優賞を獲ったアンナ・サワイが演じる戸田鞠子まりこは細川ガラシャをモデルにしているが、西岡徳馬が演じる戸田広松のモデルは、この細川幽斎であるらしい。

細川幽斎は本名を細川藤孝ふじたかというが、実は細川家の血筋ではなく、室町幕府の幕臣・三淵みつぶち家の出身で、細川家の養子となった。13代将軍・足利義輝よしてる(旧名・義藤)の家臣で、義輝が二条御所において反逆者の松永・三好らに殺害された時、たまたま非番であったため難を逃れた。幽斎は数人で奈良に向かい、義輝の弟で興福寺の僧侶・覚慶かくけいを救出。覚慶が還俗して足利義秋よしあき(のち義昭よしあき)と名乗ると、その側近として上洛実現のために奔走した。上洛を要請するために、信長のもとに派遣された使者を務めたのも幽斎だった。