信長と足利義昭の対立が深まると、信長にシフトした幽斎
しかし、織田信長が義昭を奉じて上洛し、やがて両者が対立しはじめると、藤孝(幽斎)は徐々に義昭から距離を置くようになった。信長と藤孝は同い年(午年)で誕生日も近かった(藤孝が4月22日、信長は諸説あるが5月11日)からか、馬が合ったらしい。藤孝は筆マメで、京都の情勢を信長に報告して信頼を得ていた。
元亀4年(1573)2月、信長が天下を我が物顔で取り仕切るようになったことが許せず、義昭は打倒信長を掲げて挙兵。今回、見つかった古文書はその前年の8月15日のものと考えられている(当時の古文書は月日のみで、年を書かないものが多く、この古文書にも年表記がないが、信長の花押[サイン]の形状から1572年のものと推定された)。
古文書では、他の幕臣が信長と距離を置きはじめた中、藤孝一人が贈答品の太刀と馬を贈ってくれたことを「あなたからは、初春にも太刀と馬をお贈りいただきました。例年どおりお付き合いくださり、この上なくめでたいことです」と感謝するとともに、近畿の領主たちを味方に引き入れるように要請している。「藤孝にすがろうとする様子は従来からの“信長像”に再考を迫る内容だ。信長の性格に関する研究が深まることを期待したい」と熊本大学永青文庫研究センター・稲葉継陽センター長は語る(NHK)。
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